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千寿の楽しい歴史
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2010薩摩街道を歩こう 3(松崎宿~山家宿)千寿の楽しい歴史
薩摩街道を歩こう 3(松崎宿~山家宿)

山家宿数名の講師に来ていただき、グループに分けて説明を受けました。

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地図の中の説明文。

この図は、明治初年の字図をもとに万延元年ー文久元年(1860-61)頃を復元したものです。
なお、原 采蘋塾跡は嘉永3年ー安政6年(1850-59)の間、開かれていました。

⑪ 山家西構口

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筑前六宿の構口の内、残っているのはこの「山家西(やまえにし)」と「小屋瀬(こやのせ)」だけである。
石垣と土壁とも残っているのは福岡県内ではこの「山家西構口」のみである。また、両側とも残っているので道幅もよく分かる貴重な遺跡である。



⑫ 原 采蘋(さいひん)塾跡(筑紫路の漢詩人)
筑前秋月藩の藩学稽古館(けいこかん)の教授 原古処の長女として生まれる。秋月の藩制では女子が藩外に出るのは困難だったため、久留米藩士の養女という形で京に上り、京では頼山陽・梁川星巌、江戸では斉藤一斉、松崎慊堂などの指導を受ける。
その後、病気の老母のため帰郷して山家に移り住み私塾を開く。母の没後に肥前・肥後・薩摩の旅に出て、最後は長州の萩で病に倒れ生涯を閉じる。
幕末の動乱期にあって、生涯の大半を遊歴の中に過ごし、日本唯一の閨秀詩人と謳われた。

⑬ 山家宿大庄屋役宅屋敷跡
寛保2(1742)年ごろ山家宿大庄屋に就任した近藤弥九郎の役宅跡です。大庄屋とは、江戸時代に触(郡を二つ三つに区分けした行政区)を管理していた役人のことです。

講師の説明を聞きながら山家宿を回る。

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説明、ありがとうございました。

by kusennjyu | 2010-04-22 19:56 | 薩摩街道
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