三池街道(柳川市編1) 4月23日 晴れ
柳川市内図 旧三池街道(黄緑色) 茶色は旧小路名・旧町名・旧肥後街道名・史跡名などです。
札の辻
左(辻門跡石柱) 中(辻門橋) 右(辻門横の現在の福岡県立伝習館高等学校)



辻町~京町~細工町~水門橋。江戸時代は京町には瀬高町があった。
柳川城掘水門
水門橋と川下り風景(写真3枚)。中写真(水門橋は狭く低い。この橋の下を通る時、船頭はかがんで通る。



この水門は、城内に入る唯一の水門で、城の防御用に築造されました。万一の場合はこの水門を閉め、上流の矢部川の堤防を切り崩して水を流すと、城内、柳河、宮永を残して周囲は水びたしとなり、全く島のような状況になったと言われています。このような壮大な水の仕掛けを持っていたことから、柳川城は水の城と呼ばれ、名城の一つに数えられました。
水門の規模は、両壁の幅2.6m、長さ15.7m、高さ3.8mで、平均50cmの角石を積み重ねられて造られています。また基礎には幅20~30cm、厚さ15cmの板が敷き並べてあり、堰板つき石組水門です。
瀬高御門橋の道標(藤吉交差点)
文政11(1828)年の設置。正面に「猿田彦大神」(道祖神)、右横に「すぐ北せたか道」、左横に「右西にやな河まち すぐ右ミケ道」の文字が刻まれている。ミケ道は三池街道のこと。柳川の東の守りであった。
外曲輪(くるわ)土居跡 藤吉と今古賀間の黄緑点線の下の所です。
外曲輪土居は柳川の防衛のため、周囲に築いた堤防のことで、柳川を支配した田中氏、立花氏によって築かれ強化されてきた。この土居は現在残っている唯一の外曲輪である。
今古賀信号で国道208号線を横断した所に番所橋がある。