三池街道(みやま市高田町1)
渡里


右(対岸は中島。
)左(渡里)
淀姫神社




燈篭に「文化八(1811)未年九月十八日 二之丸 吉原」 と刻まれている。燈篭の横に地蔵堂がありお祀りしてあります。
史跡 江浦城址( えのうらじょうし) 所在 高田町大字江浦町74~2
上からリンクして 高田町の他の城も見て下さい。

江浦城は田尻伯耆守親種(ほうきのかみちかたね)が築いた山門郡鷹尾城の支城の一つである。鷹尾城の総構えは鷹尾本城と江浦、浜田、堀切、津留の4支城からなる。いずれも水田地帯に立地する典型的な平城である。
天正10年(1582)、龍造寺隆信から謀叛(むほん)の疑いを受けた田尻鑑種(あきたね)は、龍造寺軍の攻囲のなか約1ケ年間籠城する。島津氏の援軍に助けられたとはいえ、龍造寺軍が1年かけても落とせなかった鷹尾城は、思いのほか堅固な要害であったとみえる。
鑑種が降伏した後も江浦城番の田尻了哲らは、鑑種の嫡子長松丸を擁してなお執拗に抵抗を続けたが、鍋島伸生(のぶお)の説得でようやく江浦城を開け渡した。
天正15年(1587)秀吉の九州統一後、高橋紹運の嫡子高橋弥七郎統増(むねます)(後の立花直次)が三池郡一万八千石に封じられると彼は江浦城を居城とした。関ヶ原合戦後は田中吉政の臣田中水主正が城番を勤め、立花氏復封後は一国一城令のため廃城となった。現在もなお本丸・二の丸などの小字名が残っている。
江浦町


左(少林寺)
右(光萬寺)
荒木精鑞株式会社へ 和ロウを造っています。


左(光萬寺前の地蔵) 右(マルエ醤油株式会社)
江浦祇園 三池街道筋は祇園で賑わいました。高田町では「渡瀬祇園」と「江浦祇園」です。
溝尻
溝尻の北向き地蔵さん
粥占い 江浦(八幡神社)
楠田川沿いにあり、三池街道筋である。