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千寿の楽しい歴史
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2010カッパ酒造館見学(千寿の楽しい歴史)
平戸と九十九島遊覧2日間NO1   

平成22年4月27日  晴れ

高田東部支所出発(西鉄バス・53名)ーーみやま柳川IC--多久IC--道の駅巌木ーーマリンセンターおさかな村(昼食)ーーカッパ酒蔵館(伊万里市)--平戸大橋公園ーー平戸城ーー平戸脇川ホテル泊

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道の駅巌木の佐用姫像

佐用姫は巌木町笹原地区にの篠原の長者の娘で、たぐいまれな美人であったと伝えられています。
宣化天皇2(537)年、朝廷の命を受けた大伴狭手彦(おおともさてひこ)が朝鮮半島の任那(みまな)・百済(くだら)救援の途中、松浦の地で軍装を解き、しばしの休養と渡海の準備をしていた時に、佐用姫を見初め、やがて夫婦の契りを結びました。

狭手彦が出発する日、たとえ短い間だったとはいえ狭手彦を心から愛するようになった佐用姫は、別れが悲しくて湊まで後を追いました。そして、湊を離れる軍船に、姫は背中から左右の肩にかけ長く垂らした「領布(ひれ)」を一心不乱に振り続けました。

万葉の歌人はその情景を

海原の沖行く船を帰れとか 領布振らしけむ松浦佐用姫 

と歌い、愛とロマンを伝えています。巌木町は、生誕の伝承地に近いこの地に、佐用姫の領布を振る姿と一途な愛にならい、「自然とロマンの風のふるさと」づくりの象徴として像を建立しました。  平成8年
この像は、時間と共に動いて1周するように造られています。

田尻氏ゆかりの地(カッパ酒造館)見学

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酒林(さかばやし)杉玉の由来

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『杉玉は古くから酒屋の看板として知られているが、もともとは杉の葉を束ねただけのもので元来日本の酒造りの神様とされる大物主大神(おおものぬしおおかみ)と少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀る三輪明神大神神社(奈良県桜井市)の神木である杉にちなんだもとのとされている。

後に新酒が出来たしるしとして造り酒屋や酒を商う店に掲げられるようになったが、さかばしと呼ばれる由来は中国では酒屋の看板を「酒家望子」と言いこのぼうしがはやしと訛ったという新井白石の説。又、酒の異名「掃愁箒(そうしゅうそう)」から酒箒が転化したという説などがある。毎年新酒のできる頃掲げられる青々とした杉玉は季節の移り変わりと共に色づいてくるが、それは新酒の爽やかさから枯淡ともいえる古酒の味わいまで四季折々に楽しめる日本酒の味の推移を教えてくれるものである。』

水の守り神”かっぱ”のミイラの由来

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松浦一酒造(株)の創業は、正徳6年(1716年)で、290年間 松浦地方で一番になりたいと銘柄へ願いを込め、お酒を造り続けております。

当家には「我が家には何か珍しいものがある」と代々の当主から当主へ語り継がれる話がありました。しかし17代続くなかでそれが何を意味するのか不明のまま推移しておりました。それが、約50年前 母屋の屋根がえの時に大工の棟梁が 「梁の上にこんなものがくくりつけてありました。」とボロボロになって埃だらけ しかしとても丁寧に紐でくくられた箱を持ち下ったのです。 

蓋をとるとなんとも不思議な形をしたミイラがでてきました。黒い箱のほこりを払うと その箱には“河伯”という文字が書かれてあります。当主は大変驚き いろいろ調べましたが、箱の “河伯” という文字が “カッパ” を意味するということ以外手がかりが見つかりません。 

しかし、これが祖先から伝わる言い伝えのものに違いない。そして河伯さまがこの蔵を守ってくださる。と 神棚を作り、水神様としてお祭りするようになりました。

田尻氏の由来 

戦国時代の九州の武将、大蔵党一族と呼ばれ活躍した。田尻初代の実種は平安時代の末期頃に筑前国から筑後国三池庄田尻邑(高田町田尻)に移り住み田尻三郎と称したのが始まりで森山宮を勧請し、代々田尻家の氏神と尊崇したとある。

天文17年(1548)田尻親種は鷹尾城(柳川市大和町鷹ノ尾)に移る。

後年、田尻の一族は、郷土の豪族となり数箇所に城を構え、大友に従っては竜造寺と戦い、竜造寺に従っては肥後の豪族と戦った。

現在、伊万里市に田尻氏の末裔が住んでおられます。松浦一酒造の当主は田尻さんです。
伊万里市に親種寺(しんしゅじ)があり、古文書が存在していましたが、火事があり残っているのでしょうか。


詳しいことは庄福BICサイト  田尻物語  

リンクして見て下さい。

伊万里市の親種寺(しんしゅじ)と松浦一酒造  

リンクして見て下さい。

                       
by kusennjyu | 2010-04-29 13:18 | 田尻氏の郷の散策
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