平戸と九十九島遊覧2日間NO2 4月27日 晴れ
平戸大橋
・形式:鋼吊橋 ・橋長:665.0m ・最大支間:465.5m ・完成:昭和52(1977)年
歴史とロマンの島と言われている平戸島に架かる吊橋が昭和52年(1977)に完成した。建設当時は国内最大級の吊橋であった。この橋の架設により平戸島に車で手軽に行けるようになり大変便利になった。
その後、平戸島の西部にある生月島も生月大橋ができたので、そこも手軽に車で行けるようになった。
平戸大橋夕景
平戸城
景観の中の城として日本でもっとも美しいのは平戸城だと思う。
司馬遼太郎著 「街道をゆく 11巻 肥前の街道」より。
平戸城の歴史
鎌倉・室町時代にかけて、この地は水軍として名を馳せた松浦党の本拠であった。松浦家26代鎮信(しげのぶ)は慶長4(1599)年、亀岡に「日の岳城」を築いた。しかし徳川家康は、豊臣秀吉と親交が深かった松浦家に疑いのまなざしを向けた。鎮信はその疑いを払うために「日の岳城」を焼却、平戸61700石を守った。松浦家は以来約90年間を「御館(おたち)」で過ごし、その間、御館(現在の松浦史料博物館)が藩庁かつ藩主の私邸として使われた。
松浦家30代棟(たかし)となって幕府の許可のもと、宝永1(1704)年、「平戸城」の再築を開始、享保3(1718)年、完成した。これが今の平戸城(亀岡城)であり、本丸、二の丸、三の丸外郭により構成され、日の岳の輪郭が利用されている。この平戸城は山鹿素行の縄張によるもので、全国でも珍しい城と言える。
明治4(1871)年、廃藩置県により廃城、建物は現存する北虎口門・狸櫓を残して取り壊された。
その後、昭和37(1962)年、本丸に三重五階の模擬天守などが復興されている。
中山愛子
34代藩主松浦清の第11女。京都の中山大納言家に嫁ぎ、その姫慶子(よしこ)が明治天皇の御生母となる。


左~天守閣から平戸大橋を見る。
右~北虎口門。
城内に唯一現存する木造構造。石垣と石垣の間にのった「櫓渡り門」様式。
藩主の私邸に最も近く、二の丸御殿への通用門でもあった。