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千寿の楽しい歴史
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2010三池街道(大牟田市倉永①)千寿の楽しい歴史
三池街道(大牟田市倉永①)

平成22年5月25日 晴れ

平成20年11月27日及び平成20年12月31日にみやま市高田町から荒尾市岩本までを1人で歩いた時、写真を撮ったものを使用しています。文書は故石川保先生の「三池街道をゆく」の一部を借用しています。

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みやま市と大牟田市の境は国道208号線に架かる『干渡橋」を渡ると、信号があり、左折してすぐに西鉄大牟田線の「西鉄渡瀬駅」があります。(「JR渡瀬駅」はみやま市にあります。)

左~干渡橋  右~西鉄渡瀬駅

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この付近一帯は海辺の一帯でした。昔、干渡橋がなかった頃は、潮が引いた時に、裸足で渡ったことから干渡の地名が付きました。みやま市が渡瀬で瀬を渡った所です。

左~山下地蔵  「西鉄渡瀬駅」南の踏切を渡ってすぐに地蔵堂があり、中に3体おわします。
右~火渡団地  「西鉄渡瀬駅」の南に出来た団地付近が「火渡」と言い、「干渡」と同じです。
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昔はこの付近まで入江で、隈川の河口がこの付近だったようです。

鎌倉時代に筑後地方でもっとも古いと思われる3つの「市」が瀬高町下庄の芳司市場・飯江川と矢部川の合流地点の山裏市場があり、ここが倉永の市場であり、現在地名として残っている山下市場です。
天草、島原方面から海産物を、倉永よりは、米、麦、野菜、焼き物(黒崎焼、二川焼)を積んでいました。江戸後期には出店ができ、茶屋・菓子屋・宿屋などがありました。

左~下中村公民館 右~下方公民館

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倉永小学校を中心とした一帯を通称「中村」と呼びます。「中村」は、親村から子村へ分かれた場合の、その中央にある親村を中村、子村に「上中下」をつけています。
上方、下方という地名を分村地名と呼びます。

【倉永】大牟田市倉永
倉永の地名は鎌倉時代にはあったようで、文禄4(1599)年、豊臣秀吉が立花宗茂(三池藩主高橋直次兄)に倉永村1169石59の領地として与えた朱印状が残されています。

クラは「谷、がけ」を意味する古語です。ここは「がけ地」が長くつづいている山地で、「くらがながい」と呼ばれるようになり、後に「倉永」の字を当てたと思います。

明治22年 倉永村・宮崎村・吉野村が合併して、「倉永村」になります。
明治40年 倉永村・上内村・銀水村・手鎌村が合併して「銀水村」になり、昭和16年に大牟田市になります。


イボ観音様

倉永小学校横から入ります。墓地の横を通り奥まったところにあります。
車で行けます。私は墓地のところに駐車して、約500M歩きました。

霊水が蛇口から出るように設備されており、いただいて患部につけると治ると言われています。

                              
                                                   
by kusennjyu | 2010-05-25 22:43 | 三池街道
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