和紙の歴史を尋ねて 6月24日 快晴 庄福さんんと筑後市と八女市へ行く。
福王寺 筑後市溝口

九州製紙開祖常丸院日源上人
上妻領蒲池氏の菩提寺長寿山福王寺の境内に作業場を設け、庄屋の助けをかり、4人で手漉紙の製造を始めた。
ここに九州で初めての紙が生産されたと伝えられている。
文禄4(1595)年、筑後柳川領主・立花親成は、日源を藩の御用紙係に任じて、郡中の楮(こうぞ)、諸道具、板、、舟を下附し寺領をも与え年貢を免除した。
以来紙漉きはいつも藩の保護を受けてきた。
この製紙法は溝口部落の人々に伝授され、徐々に紙漉き農家が増え、
明治時代には溝口区の紙生産戸数300戸、矢部川流域2300戸にも及んだ。
傘や提灯の製造が栄えた。
溝口紙は封鎖制は持たず、肥前、肥後、筑前、豊前、島原へと次々に九州各地へ移し伝えられ、九州製紙業界の隆盛をもたらした。
明治31年、福王寺境内に「九州製紙業開祖日源上人の碑」と網代笠を背に右の手に錫杖、左の手に念珠を持ち、胸には製紙の道具の竹簀(たけす)を巻いたものを下げた旅僧姿の日源上人の銅像が建立された。
この銅像は戦時中に供出されたままになっていたが、昭和35年に、上人の350年忌を記念に、「日源上人銅像再建奉参会」によって立派に再建され現在に至っている。
現在も八女手漉き和紙は健在で、その技術は
県の無形文化財に指定されている。
日源上人は越前国の生まれ、慶長14(1609)年10月14日、溝口の福王寺にて病没。墓は境内にある。
松延家住宅 国指定重要文化財(昭和51年1月28日指定) 立花町兼松

兼松は矢部川の扇状地の付け根に発達した集落で、久留米から熊本へ抜ける脇街道の宿場町として栄えた。
松延家は兼松の旧家で、
幕末に柳川藩の御用商人として、特産の和紙や茶などの交易を行なっていた商家である。
左~4代の庄次郎 右~恵比寿像(店の守り神)

敷地はほぼ東西に走る街道の南側に面しており奥行が深い。
住宅は入母屋造・妻入・瓦葺の建物が2棟並んで建ち、いずれも間口4間の2階建てで、外壁を漆喰で塗り籠(こ)めた土蔵造りである。
左~建物の中に格子戸がめぐらされている。 右~船箪笥

左~家の
悪魔よけ飾り 右~人を呼ぶ時の
呼び鈴
松延家は修築中で、来年には資料の一部が公開されるかも、期待しています。