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千寿の楽しい歴史
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大城雪造氏の功績(千寿の楽しい取材)
大城雪造氏の功績   6月24日夜  お孫さんの自宅にて。

大城雪造氏の功績(千寿の楽しい取材)_a0137997_7485386.jpg大城雪造さんの経歴
生誕地   みやま市瀬高町高柳151-2(北高柳)
生年月日  明治19年12月28日  昭和47年薨去。  

明治32年6月 瀬高高等小学校第3学年在学中に眼疾のため退学。
明治37年4月 官立東京盲亜学校普通 科及び鍼按科入学(1人での旅立ち)。
明治42年卒業。
明治43年4月 教員練習科入学。
明治44年3月 教員練習科卒業。
明治44年4月 私立香川県盲亜学校教諭。
大正3年4月  私立福岡盲亜学校訓導。
大正13年4月 福岡県立福岡盲亜学校教諭。
昭和21年   福岡県立福岡盲亜学校退職。

除幕式の写真大城雪造氏の功績(千寿の楽しい取材)_a0137997_831298.jpg大城雪造氏の功績(千寿の楽しい取材)_a0137997_832433.jpg


大城雪造氏の功績(千寿の楽しい取材)_a0137997_873412.jpg大城雪造氏の功績(千寿の楽しい取材)_a0137997_874846.jpg左~結婚写真(妻は江崎ヨシ・江崎酒造から嫁ぐ)。
右~晩年の雪造氏(上段左が長女)


第7回国会 地方行政委員会 第10号  昭和25年3月25日(土曜日)
盲人に対する附加価値税軽減の陳情書(福岡市 東薬院一番町福岡県盲人会館内福岡県盲人会長
 大城雪造)(第628号)

第10回国会 厚生委員会 第23号  昭和26年5月10日(木曜日)
福岡に国立光明寮設置の陳情書(福岡市東薬院一番 社団法人福岡県盲人会長大城雪造)(第66号)

昭和  年に福岡県盲人協会の 設立 

昭和25年 光明寮設立
当施設の前身は、昭和25年、生活に困窮する視覚障がい者が入所し自活する為に、福岡県盲人協会初代会長大城雪造氏により、福岡市薬院に開設された施設でした。

以来、中途失明者のために『視覚障がい者更生施設福岡光明寮』として、その役割の一端を果たしてきましたが、時代の趨勢に応じて光明の及ぶところを拡げる。

平成5年度より名称も『身体障害者授産施設福岡光明園』と改め、再発足致する。

昭和27年 福岡点字図書館設立  自宅の建物と盲教育者として収集された点字図書を提供する。

「情報は“情”(こころ、気持ち)と“報”(報いる、しらせ)である」というコラムがありました。「情報」ということばが氾濫している今こそ、それぞれの漢字がもつ意味を忘れないようにしなければと改めて思いました。今日までの福点の歩みを思うとき、「図書館は一日にしてならず」、まさに心ある「情報」がめんめんと伝えられてきたからこそと思います。

家族  
息子 3人・娘 1人  息子さんは修猷館で大城三兄弟として有名だったそうです。

金夫氏(三男)の活動状況
東京湾横断道路株式会社 会長として「東京湾アクアライン」建設に貢献されています。


本協会では会員を対象に、広く世界の優れた道路整備の事例調査、情報収集を行い、 知識の普及、技術の向上を図り、さらに我が国の道路技術の発展に資することを目的として海外道路調査団を派遣しております。
なお、調査結果は毎回海外道路調査団報告書として作成しています。
第10回調査団 道路建設と沿道開発 昭和 49. 5.27~ 6.24   団長・大城 金夫 ・ 団員  25名

息子さんは3人共、亡くなられて、娘さんは4番目で平成22年に84歳、福岡市で元気に過ごしておられます。















 
by kusennjyu | 2010-07-04 07:45 | みやま市の功績者 |Topに戻る