2010久保田治臣(言罕)高田町の勤皇志士・千寿の楽しい歴史
久保田治臣(言罕)高田町の勤皇志士
先祖代々の墓地に記念碑を建立する。
裏側


久保田治臣 (くぼた はるおみ )1828-1864幕末の尊攘(そんじょう)運動家。
文政11(1828)年生まれ。筑後国三池郡江浦村の医師。
嘉永年間の横尾玄蕃の三池郡倉永村に亀山義塾を設けると高弟になる。
同学生の志賀喬木・西田幹次郎・栗森長作等と議論を上下し天下の形成を痛論する。
皇室の式微を嘆き勤皇を唱え、一度家を出れば各藩の同志を歴訪し家に帰らなかった。
久留米藩の真木和泉,福岡藩の平野国臣に師事。
元治元年長州藩兵にしたがい禁門の変に従軍するが敗れ,同年8月末周防中関で切腹した。
37歳。通称は言罕。
国を出る時に当り首袋を作り、その袋に和歌一首を書き印した。
鳥がなく東(あずま)しこつのしこ首を
取り獲たときはこれやこのつと(包)
この遺品は福岡市住吉町の久保田家に保存している。
一女一男あった。長女に養子をとる。一男は三池郡甘木(現大牟田市)に住むと云われる。