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千寿の楽しい歴史
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矢部川(瀬高町下庄)千寿の楽しい取材
矢部川(瀬高町下庄)

矢部川(瀬高町下庄)千寿の楽しい取材_a0137997_9173545.jpg明治の地図  拡大します。
薩摩街道と三池街道の追分に伊能忠敬の測量基点の碑が立っている。

瀬高宿(下庄側)
飛岡・市場・新町・田代・中町
交通の要地にあって、宿泊のための設備や荷物を運ぶ為の人足や馬を集めておいたところを宿駅と呼んでいた。鎌倉時代以降発達し、江戸時代には宿場町となる。

元町入口の恵比須祠のある橋を渡った付近を飛岡出口と称していました。旧柳川藩志には先の下庄渡上り木戸(木戸門)まで471間(848m)とありこの道沿いが宿場街です。

下庄町村の旅籠(はたご)は、現在の元町(旧、市場)にあったとされている。商業の繁栄した所で東市場と中市場(片平町とも言った)と西市場に分かれていた。

職人・商人の宿場町があったと言われています。大正時代まで商業が盛んで昭和初期まで市場と呼んでいた。油屋(菜種)、紺屋、湯葉、豆腐、蒟蒻製造などの商家が立並び賑やかであったであろう。

酒蔵が多くを占め、町屋のロウ製造、米屋、石灰(肥料)屋、塩物問屋が点在していた想定されている。道路に面した昔の商家はいずれも間口が狭く取られているのが特徴です。これは、当時の家屋に対する地租が間口の広さで決められたため、間口を狭く取って奥に長い敷地となっています。



矢部川(瀬高町下庄)千寿の楽しい取材_a0137997_13365442.jpg矢部川(瀬高町下庄)千寿の楽しい取材_a0137997_1337846.jpg新町の西端の現・菊久司の酒屋から南に三池街道が南に向って三池(大牟田)方面に延びる分伎点があり、伊能忠敬の三池街道測量の〇mの基点でもある。


矢部川(瀬高町下庄)千寿の楽しい取材_a0137997_13364115.jpg松尾宮
1633年(寛永10)肥後国(熊本)菊池郡喜野村の松尾宮の分霊を背負って瀬高の北高柳村に奉安された後、瀬高町下庄松尾宮(現・元町)に奉祀した松尾宮は酒の神様です。
瀬高町は上庄と下庄に集中して酒造業が発展しました。


現在の国道443号線は明治42年に難関から柳川まで、八幡神社前を通っている。
現在の国道209号線は松尾宮の東側を通っている。

地図上の地名の由来
下御庄(しもおんしょう)→下庄(しもんしょう)(しものしょう)(大字名)
瀬高庄は平安時代のの保安2年(1121)に藤原俊忠が領有し、10年後の大治6年(1131)には上庄・下庄に二分された。下庄は三橋町・大和町(現在柳川市)まで広がる大庄園で鷹尾神社は下庄の鎮守社であった。庄とは荘園の荘の当て字として使われてきたものである。

平安時代の芳司市場(文広)からの道筋で藩政時代(江戸時代)には酒蔵の並ぶ酒造家で栄えた町です。明治時代は6軒の酒屋がありました。当時は矢部川の船着場から酒を各地に流通させていました。

中町(なかまち)(小字名)
藩政時代(江戸時代)矢部川に沿って商業の発展した名残の街区名で、肥後(熊本)からのの参勤交代の街道筋で矢部川の渡し場から上庄の街道に結ばれていました。

矢部川・恵比須町・栄町  明治時代に出来た町!
明治24年、鹿児島本線が瀬高町まで延びて、当時、駅の名を高瀬(玉名市)と混同しないように「矢部川駅」と付けられました。駅名から付近を矢部川と称するようになりました。今の行政区としての矢部川○丁目はその駅名から起こったものです。

明治42年に柳川~瀬高間に柳川軌道が開通し、矢部川3丁目から分町し、商売繁盛を願い恵比須神を勧請し恵比寿町ができている。栄町は商店が栄えるよう願いを込め起名された商業地域の町名です。柳川軌道沿線の新道路沿いに商店が移転したり、新規の店や劇場ができて下庄は都市化が進みました。
              
栄町

市場町→松尾宮町→元町(小字名)
現在の下庄の元町は江戸時代からの薩摩街道筋で「市場町」と称し、商業の繁栄した所で東市場と中市場(片平町とも言った)と西市場に分かれていた。大正時代まで商業が盛んで油屋・豆腐・蒟蒻屋・湯葉屋・青物屋・畳屋などあり昭和初期まで市場と呼んでいた。その後「松尾宮」があることから「松尾宮町」に変更、第二次大戦後は「元町」に改名された。

矢部川(瀬高町下庄)千寿の楽しい取材_a0137997_2025937.jpg談議所水天宮談議所(だんきしょ)小字名)  
談議所は「ダンギショ」と読むべきですが地元では「ン」が欠落して、ダキショと呼んでいます。奈良時代の養老元年(717)創建の宝聚寺の談議所(天台宗の会談道場)に由来するものです。

その頃、この寺院で仏の慈悲によって農民の苦悩をやわらげ、明日に希望を持たせる如き大衆に説教が行われていなかったでしょう。大衆済度の法話を開始したのは、中世の宗教改革によって生まれた浄土、真宗、日蓮宗などです。天台、真言宗は鎮護国家の宗教として、行政に利用され、平安時代は貴族の宗教として栄えました。



八幡町(やわたまち)(行政区名) 
八幡町や談議所は矢部川の河港であり平安時代頃からで天草・島原方面との交易の港町として栄えた町です。

瀬高用水と瀬高樋管
矢部川(瀬高町下庄)千寿の楽しい取材_a0137997_206623.jpg矢部川(瀬高町下庄)千寿の楽しい取材_a0137997_2062257.jpg


i一部は故鶴記一郎文書より。
by kusennjyu | 2010-07-15 09:43 | 矢部川
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