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千寿の楽しい歴史
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2010矢部川(瀬高町上庄)千寿の楽しい歴史
矢部川(瀬高町上庄)

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矢部川の右岸に一部下庄が入り込んでいます。

瀬高宿

瀬高の渡しを渡った住吉の浜には柳川藩の法令の公示に用いた高札(制札場)があり今町と称し、家屋が160軒あった(旧柳川藩志)。

現在は河川拡張で川や堤防となり消滅している。祇園宮前を通り本町の福島屋には馬継場があった。馬は上庄に29疋、下庄27疋、があった。

瀬高町上庄出口

薩摩街道と柳川街道に分かれる上庄出口の三叉路に追分碑が立てられていた。(近藤氏宅中庭に保存)。
東面に「是(これ)より北 宿町通り」南面に「是(これ)より西、柳川通り」と刻まれている。(高さ186cm幅30×30cm)

文化9年(1812)伊能忠敬の測量日記に、「筑後山門郡瀬高町上庄村字出口、追分碑より初・・・・」とある。薩摩街道は祇園さん通りから出口の三叉路を北方向に曲がり瀬高御茶屋の表御門のある「宿町通り」を通る。

瀬高御茶屋 瀬高町上庄出口

宿町通りには本陣の「御茶屋」があり、大名及び幕府の旗本、日田の代官等の高級武士の宿泊、休憩所として用いられた。

瀬高宿は薩摩の島津藩や人吉の相良、肥後の細川などの参勤交代の宿に利用されている。

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上庄の八坂神社

地元では「上庄の祇園さん」と親しまれている神社で、祭神須佐之男命(素戔嗚尊とも表記・すさのおのみこと)・<応神天皇(おうじんてんのう)・武内宿禰命(たけうちすくねのみこと)を祭ってある。

安元2年(1176)6月11日に、この地に鎮座されているが、祭主は宇都宮弥三郎の子小太郎藤原中次<と弟の重国とある。この両人は京都祇園の分霊を奉護し、筑後へ来て持参した藤鞭を3つに切り、久留米、柳川、瀬高に植えたところ、瀬高のものが繁ったので、この地に社を建てて祀ったという。

戦国の乱世には美しい社殿も多くの戦火にあい大破され、荒れ果ていたが、文禄5年(1596)に藩主立花宗茂は社頭30石を寄進し、宗茂改易後は、慶長7年(1602)に田中吉政が50石を寄進している。

元和7年(1621)立花宗茂が柳川城に再封され、翌年の正月には社殿などを新築された。現在の鳥居も立花宗茂の寄進であり、途絶えた祭礼を初め、大人形の神事も始めた。

旧暦の6月15日は多くの参拝者が集まるので上庄街道の一般の通行を禁止することを幕府に願いを出す程に盛大であったという。立花宗茂が柳川再城の時、この社の社殿を新築して祀ったのは宗茂・奥州棚倉在城の元和6年(1620)正月元旦の夢の御告げ(祇園神ノ符扇上ニ在リ)によって再度柳川に帰れたことによるものである。

大人形は白旗を小わきにはさんだ源義家(みなもとのよしいえ)(八幡太郎義家)を向って右に安倍宗任(あべのむねとう)もしくは安倍貞任(あべのさだとう)を毎年交互に左にたて、そして中央に社壇を安置して祇園の神を祭ってある。

立花宗茂の奇夢に現れたる徳川家康を宗任に、宗茂公自身を八幡太郎義家に擬し、武運長久を祈願せられたるに基づくものとする。

7月24~25日の祭日は「うう人形さん」の名で人形の股をくぐりぬけると病気にならないと言われに行われる。本郷の古老の話しによると、毎年祭礼が近くなると昭和初期頃までは、八女の福島の人形師が制作した大人形が運ばれ本郷の行基橋のたもとで休憩して上庄に運ばれていたそうです。

祭礼の前の7月21日には「大提灯まわし」という献灯の神事大提灯(おおちょうちん)は人物、風景等が描かれ、材料に、魚鱗・魚皮・虫の羽・貝殻・木皮等が使われている高さ2,5m・直径1mの大提灯(県指定有形文化財)
です。

大提灯の由来は、安元2年(1176)上庄に祇園宮が勧請された際に、白武三郎兵衛という貧しい武士が、雨の降る闇の夜に粗末な提灯と破れた傘をさして御神霊を迎え、崇拝したという話がある。心から神を崇敬する彼の行為に感激して、後世彼が使用した提灯や傘にちなんで大提灯を作成し祭礼の初日(7月21日)に大提灯は氏子の若者によって町内を練り歩き祇園の祭礼期間(7月21日~25日)に献灯されるようになったとある。

明治末期に北原白秋の姉の加代が嫁いでいる。
昭和3年夏、白秋は、20年ぶりの郷土訪問飛行の折、菊美人酒造で姉、加代との再会を慶び「姉上」の長詩を詠んでいます。「菊美人」を酌みながら詠んだ白秋の詩歌が、菊美人酒造に数多く残されています。ラベルの菊美人の題字も北原白秋直筆のものです。

菊美人酒造と北原白秋へリンク

千寿の酒蔵探訪  菊美人酒造(蔵開き)へ

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高明(こうめい)神社

堤防の上に鎮座していたが矢部川堤防改修工事の為、下にこの場所に移設された。。
地元では「こうめいさん」と呼ばれ信仰されている。
古い時代から矢部川を舟で渡り柳川に行く街道の入口で商店や宿が建ち並び、賑わっていた時代を思わせる。

瀬口土居町
矢部川のちなんだ地名です。平安時代から明治時代まで栄えた町です。来迎寺の門前町でもありました。

本町
「本町」とは元の町の意味であるから、上庄の中心となる意の地名です。八坂神社(祇園宮)を中心として栄えた町です。

二百町(小字名)
商業の中心の役割をし、多くの店舗が並ぶ繁華街で夏の祇園祭りは人が通れない位賑やかでした。         
祇園池

新町(小字名)
藩政時代商業の発展した名残の街区名です。

瀬高堰   平成2年3月完成

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■管理者 国土交通省筑後川河川事務所   ■型式   シェルタイプローラゲート
■河口からの距離   10,200m  ■堰長  106m   ■目的 かんがい用水取水・塩害防止・河積確保 ■魚道   階段式

新町排水樋管と横町排水樋管

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一部、故鶴記一郎文書より。
 
by kusennjyu | 2010-07-15 12:16 | 矢部川
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