旧柳川瀬高道
現在の地図と明治初期の地図(5枚)に旧柳川瀬高道を記入しましたので比較して下さい。
明治初期の地図は村名を書いていますが、不明な村は丸囲み番号のみにしています。
大きな地図(村ごと)を8枚くらい並べて街道にして写真をとったものです。
明治初期の地図①から⑤ 明治初期の地図はクリックすると拡大します。


瀬高御門
立花宗茂が再封ののち、それまで瀬高駅(現・みやま市瀬高町上庄)に真っ直ぐ行ける瀬高町(現・柳川市京町)通りの東方にあった
瀬高門を南方へ移し、細工町・新町を町立てしたと言われています。
そのため、コの字に曲がり瀬高へ東進するようになります。