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千寿の楽しい歴史
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2010三池街道(大牟田市新町・田町⑥)千寿の楽しい歴史
三池街道6(大牟田市新町・田町)

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藤本伝吾邸跡

文化3(1806)年、三池藩主種周は陸奥国下手渡へ国替えとなり、三池郡十七カ村は幕府直轄地となり日田代官の支配になりました。
そして十年後の文化13(1816)年には、柳河藩預かり地となりました。

この頃から稲荷(とうか)山の石炭採掘や輸送・販売などの事業は、藩内の有力商人の手に帰していました。
その中で石炭長者として有名になったのが、三池新町の藤本伝吾と稲荷村八尻の塚本茂作でした。

一時は旧三池藩領石炭の採掘を1ヶ月のうち5日間を塚本茂作が引受け、残り25日を藤本伝吾の受け前と定めていました。
こうして藤本家邸宅の堂々たる威容は、他国からの旅人が殿様御殿と勘違いする程であったと言われていました。

この藤本伝吾が独占的に藩内の石炭の採掘を行なっていた頃が、三池の町が最も賑やかでした。
伝吾の蓄財は数十万両と言われています。

伝吾は弘化2(1845)年、58歳で死去し、その供養塔が嘉永2(1849)年に建立されました。

新町

新町は文禄4(1595)年、高橋直次(初代三池藩主)に与えた領地の朱印状の村名には、
町、大間、ひらの、高泉、今山      とあります。

元和7(1622)年、二代藩主種次が、常陸国柿岡(現茨城県八郷町)から一万石で三池十七カ村に復帰した時には「新町」はあります。
そして「新町に陣屋をつくる」とありますので、三池町より分かれて、陣屋一帯を新町と呼ぶようになったと思います。

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寿光寺(じゅこうじ)

ここは大字歴木(くぬぎ)東内畑で、この寺の山門は、もとの陣屋の正門で、明治9年にここへ移しました。
この寺は河内国(現大阪府)の高木九郎という人が僧となって建立したということです。


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三池新町弥剣神社

旧三池藩に属し、田町の祇園さんとして親しまれている。

当社の大蛇山を飾る山車(御前山)の龍の彫刻は特に有名。
延宝年間、早鐘眼鏡橋の完成に伴い住民の協力に対し藩主立花種恭公が下賜されたものである。

毎年7月第4土・日には大牟田夏まつりが盛大に催され当社の大蛇も街を練り歩く。

                  大牟田観光協会 平成2年3月より


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田町公民館

高田公園の南東端に田町公民館があり、旧道沿いは静かな通りです。

田という地名は、田の開発とともに広まったものです。ここ田町も、田の広がりとともに呼ばれるようになったといえます。


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高泉の水天宮

前記の朱印状に「高泉」という村名があります。 

タカ(高)は、地形的にいっても土地が高いとは考えられないので、「りっぱ」という褒め言葉から呼ばれたと思われます。 

寿光寺の南側が「蓮の池」という地名です。今はないが、ここが泉だったと思われます。
蓮の池の西側に「春の堂」という地名があり、春の堂天満宮があります。ここが旧高泉村の鎮守社です。

ハルは開墾する、開くの意味で、高泉は「泉の周囲に開けたりっぱな村」ということだろうと思います。

高泉村は明治9年に平野村と合併して「歴木(くぬぎ)村」となりました。

 





                                   
by kusennjyu | 2010-08-09 11:37 | 三池街道
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