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千寿の楽しい歴史
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2010三池街道(大牟田市檪野⑦)千寿の楽しい歴史
三池街道(大牟田市檪野⑦)

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地図をクリックすると拡大します。

檪野(いちの)

岩本番所から峠までの三池街道東側を「檪野」といいます。昔の檪野村です。

前記の朱印状に「檪野」の村名が出てきます。
朱印状には「いちいの」となっています。イチノはイチイガシが多く自生している土地に付けられた地名のようです。

イチノはイチイノの転訛で、ずっと後世になって漢字で檪野と書くようになりました。



東谷から坂道を上がって来た所に、十軒ほどの集落があります。

峠は今でも道幅が狭く、昔の三池街道の姿を残しています。

ここに有名な井戸があり、人々は「峠の井戸」と呼んで、旅人の喉を潤していたと云われています。

左~峠から街道橋間の三池街道(山道)  右~三池街道から東側の檪野の風景。 右正面の山は三池山です。

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旧檪野トンネル

旧玉川村には二つのトンネルがありました。一つは檪野トンネルで全長32m、もう一つは教楽木(きょうらぎ)トンネルで80mでした。

このトンネルは勝立から檪野、教楽木を通り、南関に至る道路を貫通させるため、明治末期から大正期にかけて造られました。

この道路工事には、次に述べる故江口政平氏の功績が讃えられています。トンネルは大型車が通れないことから、昭和38年に撤去されました。

私が高校生の時(昭和38年から41年)には、学校の全生徒でマラソン大会(10Km)があり、この道路を往復しました。その時は、教楽木トンネルのみ残っていました。

江口政平頌徳碑(しょうとくひ)

江口政平氏は、明治22(1889)年、勝立・檪野・教楽木の三カ村が合併して玉川村になると、玉川村議会議員となり、この村の交通の不便さを解消しようと立ち上がりました。

それまで勝立から檪野の方へ行くには(当時はみな徒歩)、上高田から東谷(通称北海道)へ行き、そこから峠を越えて檪野へ抜けていました。

江口政平氏はその後、福岡県議会議員となり、県の予算で念願の勝立から教楽木までの貫通道路建設に力を入れました。

そしてやっと県の予算が取れ、建設が着手されました。特に難工事だった檪野トンネル貫通工事には、献身的な努力をされ、県の予算に不足が生じてくると、私財を投げうっいて工事を進めさせ、ついに大正5年、「玉川の道」は完成しました。

この江口政平の功績に対して諸和4(1929)年、玉川村として、玉川バス停横の檪野トンネル側に「江口政平翁頌徳碑」を建立しました。
江口氏は昭和32年に亡くなりました。

街道橋(平成9年12月完成)

左~街道橋 右~勝立から檪野間の下の道路から街道橋を撮る。 右の階段を上り街道橋へ行く。

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by kusennjyu | 2010-08-09 15:37 | 三池街道
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