2010豊前街道1(国堺石~南関御茶屋跡)千寿の楽しい歴史。
豊前街道1(国堺石~南関御茶屋跡)

地図の右下から国道443号線の現在「南関生き生き村」北側に出ます。街道は高速道路工事で少し変更になっています。
国道に出て南進し信号から右折、約500m歩いたら南関御茶屋跡(南関町役場の北側)に到着します。

豊前街道(国境~南関御茶屋跡) リンクして見て下さい。 リンク先は薩摩街道を歩こう(みやま市山川町から南関)。
参勤交代の道
近世肥後国の主要道路は、熊本城下の新町一丁目御門前、札の辻を起点とする「豊前街道」・「豊後街道」・「薩摩街道」・「日向街道」の四街道で、天正16(1588)年に隈本に入場した加藤清正によって、中世から存在していた道路が整備されたと言われています。

このうち豊前・薩摩街道は、小倉~鹿児島を結ぶ同一ルートであり、熊本城下より北を豊前街道、南を薩摩街道と呼びました。
豊前街道は、札の辻を発して熊本城内を北へ通り抜け、植木(平成22年より熊本市)・山鹿・南関を経て筑後に至り、松崎で秋月街道と交差したあと、長崎街道と合流して小倉へ進んで行きます。
江戸時代のはじめ、熊本藩主細川氏は、参勤交代の際に豊後街道を通ることが通例で、豊前街道が利用されるようになったのは、元禄年間からと言われています。
元禄元(1688)年から文久3(1863)までの参勤交代では、豊前街道は参勤47回、帰国14回、豊後街道は参勤27回、帰国63回が利用されています。
このように、豊前街道は参勤に多く用いられ、帰国には圧倒的に豊後街道が用いられたことがわかります。
細川氏のほかに宇土支藩の細川氏、八代の松井氏、薩摩の島津氏、人吉の相良氏などがもこの街道を往来しました。
熊本城下まで続きます。
車で行って何回も迷いました。写真と注意事項を書いて、初めての方でも辿れるようにします。
豊前街道は、国道から離れた山の中を通っています。軽自動車がやっと通れるような道路を進んで行きました。
1人で行ったら淋しく不安になります。
その代わり、昔の街道がそのまま残っていました。お楽しみに!