三池往還(玉名市1) 9月16日取材 快晴


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九州新幹線 8月31日から試運転中。
左~博多方面。 右~熊本方面。

寺田井樋(てらだいび)の記念碑
伊倉塘下(現在の千田から片諏訪にかけての水田地帯)には、木葉川を堰き止め水を入れていたが、干ばつ時には、溜まり水を桶で昼夜を問わず汲み入れなければならなかった。
惣庄屋小田次左衛門・茂助父子は、農民の苦難を憂い、高瀬川(現在の菊池川)の水を木葉川に入れようと、樋(ひ)を据え井手を通すことに寝食を忘れ取り組み、宝暦14(1764)年、完成させ600町の用水を確保できた。
さらに、文政12(1829)年には、矢部から移ってきた惣庄屋三村章太郎が、田地より低い用水を汲み上げるために、農民が日夜水車を回す苦労を見かねて、土地の高低を日々測量し、堰を造り樋を改良するなど努力した甲斐があって、水車を使わずに潤沢な用水が横島新地まで確保された。
この碑は、彼らの偉業をたたえ、当時の苦労を後々忘れないように建てられた。
平成16年3月 八嘉校区まちづくり委員会
左~高瀬大橋。 右~高瀬川鉄橋。

日本の鉄道は、明治5(1872)年、新橋・横浜間に開業しましたが、九州では九州鉄道会社が明治22年に博多・千歳川(久留米の手前)に開業したのが始まりです。建設工事にはポロイセン(ドイツ)から顧問技師を招いています。
明治24年4月には高瀬、7月には春日(現熊本)まで伸びました。
その折、菊池川に「高瀬川橋梁」と名付けた鉄橋(当時は単線で、いまの下り線)が架けられました。
全長287m、緩やかなカーブを描くボーストトライの構造が用いられました。レンガ造りの橋脚は「フランス積み」といわれる積み方の工法で、橋脚下部はアーチになっており、度々の洪水でもビクともしていません。
現在の橋梁は対照(1916)年に架け替えられたもので、直弦式のブラットトラス構造がつられています。
九州鉄道は明治40(1907)年に国有鉄道となり、昭和40(1965)年の電化、43年の複線化、60年から九州旅客鉄道株式会社(JR)として現在に至っています。
平成18年3月 玉名町校区まちづくり委員会