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千寿の楽しい歴史
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2010三池往還(玉名市3)千寿の楽しい歴史
三池往還(玉名市3)   高瀬の渡し・御高札場跡・船着場跡

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横の六地蔵尊

高瀬町会所跡・御高札場跡

高瀬町の玄関口にあたるここ高瀬眼鏡橋のたもとにいまの町役場に当たる高瀬町会所がありました。

藩政時代、高瀬町は「五ケ町」の一つであり、町奉行の下、町人代表による自治が認められていました。

天保6(1835)年、高瀬町には藩から奉行1人、唐物抜荷改方横目1人、町廻り2人、茶屋番1人が派遣され、その下で町人から町別当、同助勤ほか(いずれも士分格)が町政に携わっています。

元禄の頃、町別当を勤めた深江屋・水上屋は17世紀前半の寛永・正保ころからの商人で、代々藩に献金した功績により士分に取り立てられています。

会所の横には御高札場が置かれ、藩の通達とか「お尋ね者」の人相、罪状などが掲げられ、町人に藩政の徹底を図っていました。
              
平成18年3月  玉名町校区まちづくり委員会

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高瀬船着場跡 玉名市指定史跡

加藤清正は天正16(1588)年、肥後入国後、高瀬川(菊池川)堀替工事を天正17年~慶長7年(1589~1602年)に行い、この地に菊池川流域産米の集積、大坂(阪)への移出のための米蔵(御蔵)と港を造った。

次代の細川氏は更に施設の整備拡張に努め(天保12年=1841年頃)、年間24万俵に及ぶ藩米を移出する藩内第一の拠点としていた。

「御蔵」は西南の役で消失したが、俵ころがし場や揚場は往時の港がしのばれ、玉名市の近世歴史を知る上で貴重なものである。
              

昭和57年3月   玉名市・玉名市教育委員会

左~旧渡頭 揚場。  右~俵ころがし。

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高瀬の戦い

熊本城を包囲した薩軍は植木、木葉で第14連隊を破って北上。
2月25日には征討軍が南下し、高瀬を奪回。翌26日、官軍は、伊倉寺田方面へ進出。
この時、両軍は繁根木川左岸堤防によって、両軍は繁根木八幡を中心にして終日激しく戦った。

翌27日、薩軍第一大隊第一小隊長・西郷小兵衛(西郷隆盛の末弟)は、陣頭指揮をしていたが、官軍からの流れ弾に棟を貫かれ、31歳にして戦死を遂げた。この日、再び高瀬で両軍は雌雄を
決すり大海鮮を行ない、この戦いに勝利した官軍は南下した。

by kusennjyu | 2010-09-20 10:20 | 三池街道
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