人気ブログランキング | 話題のタグを見る
千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)
柳川の日吉神社   

平成22年9月25日   

明証図会より(3枚)

日吉神社社殿

2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_16481066.jpg



山王権現社

2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_1651315.jpg



山王宮

2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_165210100.jpg



左~鳥居  右~本殿前参道

2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_1658073.jpg2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_16583039.jpg


左~本殿  右~皇太子御成婚記念(参道の右側)

2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_171568.jpg2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_1712256.jpg


本殿の中  神猿像(猿は山王の使者)

2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_174566.jpg2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_1741742.jpg


本殿の中  狛犬

2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_1754071.jpg2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_1755089.jpg


左~「山王大権現」の額縁  右~神紋(丸に一引く)

2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_1785510.jpg2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)_a0137997_1791053.jpg


宮司さんから本殿の中を説明してもらう。

ここの祭神は内々陣に祀られ、奥行きが広く感じられる。
内陣は畳の間であり、他の神社の内陣は板の間である。


神猿」と書いて「まさる」と読む。
「まさる」は「魔が去る」または「勝る」の意であり、厄除け、魔よけ、守護に利益があるとされる。

神紋が丸に横一であることから、比叡山一の宮日枝神社の分身を祀った神社という。

神紋の「丸に一ひく(丸に一の字)」の「一」は「一白水星」で水の象意であり、農耕に関係がある。
農耕の神は代掻きの頃、山から下りてきて田の成長を見守り、収穫したら山に戻られる。



御由緒

柳川総鎮守日吉神社は、四十二代伏見天皇の御代正応3(1290)年、山門郡、社村の農長(森山和左ェ門)先祖が近江国滋賀郡坂本、(山王大権現)を奉護し社村に帰り清浄の地に鎮護の産土神として崇奉してより数百年を経て後、柏原天皇の御代文亀永正の頃、蒲池筑後守治久が社村の地内に出城(後の柳河城)を築き山王宮を柳河惣廟として崇敬した。

その後、柳河藩主立花宗茂公、田中吉政公等の厚い崇敬を受け祭り盛んとなる。
現在の建物は、元禄8(1695)年、立花鑑虎公心願の成就に礼し改築した。

藩初以来、柳河山神護寺最勝院(東叡山末寺)は神仏混合の時代山王宮の東南東に位置し、(現在の柳城公園付近)厚い崇敬を受けていたが、明治維新後、廃仏毀釈により廃寺となる。

明治2年藩社と定められ、明治4年7月に県社となる。
同山王宮はを日吉神社と改める。

明治6年郷社に列せられるその後、時代を経て
昭和51年、御鎮座700年祭を斎行。
昭和61年、境内社の諸神社、神殿、御神庫、神饌所等修理修繕。
昭和63年、境内社の金刀比羅宮を修復、並びに鳥居の建築。

近年境内の整備等が実施され、崇敬者の皆様で賑わいを見せ、御神威益々輝く日吉神社です。

御祭神   大山咋神(おおやまくいのかみ)

大山咋神(おおやまくいのかみ)について

大山咋神は、「古事記」に「大山咋神(おおやまくひのかみ)。またの名は山末大主神(やますえのおおぬしのかみ)。
この神は、近淡海(ちかつおおみ)国の日枝山に座す。また葛野(かずの)の松尾に座す。鳴鏑(なりかぶら)になりませる神なり」
とあるように、近江国(滋賀県)の日枝山(比叡山)に鎮まったのが最初で、後に松尾に鎮座した。
治山、治水、農耕の守護神とされた。
大山の主であり、比叡山(天台宗・延暦寺)をはじめ、広く地主神として祀られ崇められる。



御神徳

大山咋神の「咋」は「主」という意味で、大山の主であると共に広く地主神として崇められ山、水を司り大地をお守りいただいている神です。

万物の成長、発展、方災解除、厄除隆昌、無病息災、初宮詣、交通、海上、家内安全、商売繁盛、良縁、事業、進学成就等々御神徳は広大無辺です。

by kusennjyu | 2010-09-30 17:09 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 |Topに戻る