柳川市沖ノ端 10月4日 晴れ 撮影分
左~矢留小学校 右~
訪問して歓迎を受ける北原白秋写真(学校の外壁に展示してある。)

左~天満宮 右~天満宮横のお手洗い場

このお手洗い場の創建は今より580余年前応永時代、平家の落人六騎の方々が天照皇大神を御祭神として当時卆苦を共にして大神宮を御造営した時に出来たお手洗い場です。
両側の板張りに脱衣して川の清水にて身を清め大祭日には上下を着て早期に大神宮に参拝したお手洗い場であります。
修復して現在追保存されている貴重な史跡です。
昭和54年12月吉日
六騎神社

六騎・矢留大神宮
1185年、壇ノ浦で敗れた平家の落人は、肥後路へ逃避しました。しかし、源氏の追及は厳しく、落武者難波善長、加藤藤内、浦川天ケ左衛門、鳴神藤助、是永多七、若宮兵七一は、柳川沖端に移り住み、漁業をはじめたといわれています。
当時の人々は、平家の身分の高い人たちとして、6名の騎馬武者の意味で「
六騎」と称していました。
立花宗茂公が柳川城に復帰すると、有明海の「
漁業権」を得て活動するようになりました。
こうして「六騎」が、沖端漁業の基礎を築いたので、漁業者のことを「
六騎」と呼ぶようになりました。
また、産土神(氏神)を祀ることを気づいた「六騎」の1人は伊勢に参り、半鐘を授かった。
するとまもなく、この矢留の地から半鐘が発見されたので、伊勢大神宮から授かった半鐘とつなぎ合わせて見ると、不思議なことに一致し、これは大神宮様のお授けになったものであるとして、天照大神を奉祀したのが、矢留大神宮です。
時は1395年11月15日でした。毎年11月15日、矢留大神宮、六騎神社の大祭が行われています。
川下り船着き場

沖ノ端水天宮

うなぎ屋 左~六騎 右~本吉屋

うなぎ屋 左~若松屋
右~若松屋にある拝領の庭(柳河藩学問の祖 安東省庵先生 生家の庭石)

川下りコースの白秋の短歌

「殿の倉」のなまこ壁を背景に立てられ、碑の前の御影石には詩集『
思ひ出』が納められています。