夢二の九州ロマン紀行2

平成22年10月15日西日本新聞記事
白蓮の絶筆を初公開 手帳などゆかりの90点 21日から飯塚市 (新聞の見出し)
「筑紫の女王」と呼ばれた歌人・柳原白蓮のよかりの品を紹介する「柳原白蓮展」
華族出身の白蓮は明治44年、「筑豊の炭鉱王」と呼ばれた25歳年上の伝右衛門と結婚。
旧伊藤邸で10年間過ごした後、社会運動家・宮崎龍介と駆け落ちし、伝右衛門への絶縁状を新聞紙上に公開。 (新聞記事より)
竹下夢二が福岡天神町の伊藤別邸をに『筑紫の女王』白蓮を訪ねたのは、大正7年夏のことでした。
夢二展 in OHANA 白秋と夢二
夢二と白秋の共通点
美しき日本の良き時代に、大正浪漫の華やかな夜空に二つの巨星があります。
天才画家竹下夢二と天才詩人北原白秋です。
夢二は明治17年9月16日岡山に、白秋は翌年の1月25日に柳川に、共に造り酒屋に生まれる。
二人とも家出して上京し、夢二は早稲田実業学校へ、白秋は早稲田大学英文科予科に進み、二人とも中途退学をしています。
両者が交友したという文献記録も、2人の共著・合作と銘打った作品もありません。
北原白秋との関係捜し
1・大正2年8月3日付「大坂毎日新聞」掲載の『名家の嗜好アンケート』で
「好きな詩歌は?」の設問に夢二が「白秋の詩と解答している。
2・大正8年8月19日付「東京日々新聞」掲載に、
『竹下夢二等訴えられる北原白秋等より』の見出しです。 (内容略)
3・『夢二日記』の中には、大正14年4月19日付で「野口(雨情)君が間に入り、北原・中山と握手するため23日に夕めしをすることにする」とあります。
和解を裏付けるような、珍しい写真がありました。
大正浪漫を彩ったメンバーが一堂に会した集合写真です。
(北原白秋と竹下夢二が並んで写る。)
安達敏昭著「夢二の旅」より。
時間が ゆるやかに 流れる
水郷柳川で
”夢二と白秋”を想うように
浪漫の香りが 風のように
優しく 流れます・・・・・。
大正ロマンは日本の遺産です。
ギャラリー ADアート 安達敏昭 より
夢二の想い出 淡路のり子
1・私がはじめて竹下夢二の絵を見たのは、青森の女学校にいた頃でした。
それからというものは、夢二の絵を切り抜きました。
2・私は上京し音楽学校に入り、モデルをしたりして卒業s、かけ出しのスターの頃、夢二が外国に行くので、その資金を集めるため、演奏会の出演を頼まれる。
私は出演料を彼の旅に役立てて貰いたいと、そっくりそのままあげったのです。
3・旅の途中から病気のため帰国したと聞き、お見舞いに行きました。
玄関に、まるで夢からぬけ出たような二の絵、美しい女が出てきて、
いくら頼んでも会わしてくれませんでした。
その時、夢二は死ぬ人だったかも知れません。
私の青春の思い出の一頁は、夢二の絵で描きつくされているのです。(声楽家)
安達敏昭氏の展示写真より

美輪(丸山)明宏さんは、『夢二の文を読みなさい!』と言います。 長崎市海星中学出身。
美現やリズムに慣れ親しい表しんでいると、日常の言葉遣いにおのずと彩(いろど)りが生まれてくるはずです。
安達敏昭氏の展示写真より
柳川の御花の売店の前で安達敏昭氏の『夢二展』が行なわれています。
近所の方は、足を運んで覗いて見ませんか。