御花の庭園・松濤園(柳川市)
西側二階ベランダーから撮る。


大廣間の廊下から撮る。

藩祖・立花宗茂と柳川・御花
戦国時代、豊臣秀吉の九州平定の際、豊後大友氏の先陣として活躍した立花宗茂は、その功により、筑後13万石の城主として柳川に封ぜられました。
その後、関ヶ原の戦いで秀吉への恩義から西軍に味方した宗茂は、柳川の地を追われる事になります。
しかし、流浪の身となった後も、一貫した潔い行動により徳川家の信頼を得た宗茂は、20年後の1620年、再び柳川藩主として奇跡的にな復活をとげたのです。
以後柳川は、明治維新時の12代藩主鑑寛(あきとも)まで、柳川藩の城下町として栄えました。
「御花」の由来
天文3(1738)年、5代藩主貞俶(さだよし)は、政務の疲れを癒し、家族と和やかな時を過ごすための場所として、柳川城の南西隅に別邸を設けました。
当時、この当たりは「御花畠」と云われていたことから、柳川の人々は親しみを込めて「
御花」と呼ぶようになりました。
明治時代になると、御花は立花伯爵家の邸宅となり、14代当主寛治(ともはる)は明治42~43年にかけて、迎賓館としての西洋館とそれにつづく和館の大広間という、当時流行の形式の邸宅を整えました。
同じく明治時代に整えられたクロマツに囲まれた華やかな池庭「
松濤園」は、昭和53年、国の名勝に指定されました。
松濤園薪能
柳川御花の名勝・松濤園で、平成6年・平成12年に薪能を開催されました。
能舞台は水上に設けた特設の舞台で、かがり火のゆらめく中、能や舞囃子・狂言が演じられました。
有明新報記事より 平成17年5月17日
御花で御前能
殿様の御前で演じられた能を再現した「御前能」が6月2日午後7時から、柳川市新外町の旧柳川藩主別邸・御花である。約2時間ろうそくの明かりの中で、百年の時を刻む舞台が演じられる。