水郷柳川(白秋道路)をゆく 10月25日 雨
御花から北側へ流れる水路をたどり「藤平門橋」までゆく。
この川筋は、壇一雄文学碑・白秋道路・十時邸・藤村作顕彰碑・海老名弾正顕彰碑など見られます。
蜘蛛手網
柳川地方古来の漁法で、珍しい風景を見る。
私たちが子どもの頃は、どこの川でも見られ、子どもの遊び場でした。
私の家の前に小さな川が流れ、蜘蛛手を作り、網がちょうど川巾と同じで、網を一晩、水につけて置きます。
大水の時は、川カニが下ってきて、網の中にたくさん入っているのを見て、はしゃぎだものです。
母は、川カニのだご汁を作ってくれました。昔なつかしいお袋の味がなくなりました。

海老名弾正顕彰碑

海老名弾正は安政5(1856)年 9月18日、柳川市新外町に生まれました。
伝習館から熊本洋学校に進み、L・L・ジェーンズからキリスト教の感化を受け、「熊本バンド」の1人となる。
次いで京都の同志社英学校で
新島襄(にいじま・じょう)の薫陶を受け、第一回生として卒業しました。
以後、群馬、熊本、神戸、東京などで牧師として伝道に従事します。
本郷教会では吉野作造や中島重らの俊才を育成しています。
大正9(1920)年、
同志社総長に就任し、「同志社アカデミズム」をもたらした。
昭和12(1937)年5月22日、東京で亡くなりました。80歳の生涯でした。
のちに、遺骨の一部は、柳川市新外町(しんほかまち)の真勝寺(しんしょうじ)にも分骨されました。
「総長就任の辞」より。 写真をクリックし拡大して観賞して見て下さい。
私は人物が欲しい。これは私の苦闘であります。独り私の苦闘にあらずして日本の苦闘であります。
願ばくば、日本を世界に指導して行く所の人物を作り出したい。
ふるさと柳川にも同じ期待をかけていたはずです。
それは柳川の少年、少女への熱いメッセージであります。

白秋は「
思ひ出」の序章に「
童謡」と注記しています。
『この「思ひ出」こそは今日の私の童謡の本源を成したものだといひ得る』といっています。
わらべうたの姿を現代に生かす努力をしています。
「まちぼうけ」に歌われた少女の石像
柳川方言(あ行)に挑戦してみませんか。 答えは次回の「水郷柳川」編でします。
1・ あいなけ 2・ あいやん 3・ あえる 4・ あがしこ 5・ あぐっちゃく
6・ あすっさるく 7・ あすんもん 8・ あっぷか 9・あとさん 10・ あなんぼし
10問で「どんぐっちょ」出来召すか。 千寿