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千寿の楽しい歴史
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2010薩摩街道(山川宿~瀬高宿)瀬高編2・千寿の楽しい歴史
薩摩街道(山川宿~瀬高宿)瀬高編2

平成22年10月31日

主催  薩摩街道を歩く会

後援   みやま市教育委員会 特別協賛 郵便局株式会社


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清水道追分とその北側の地蔵尊(左の追分の写真に地蔵尊が見えています。

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二里石とその説明
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二里石

柳川藩では、全国にならって柳川城下、札の辻を基点に藩内に一里ごとに一里石などの道標を築きました。

三橋と御仁橋の中間あたりに、一里石を建て、瀬高町旧大竹村前田に二里石を設けました。

左~前田天満宮(線路の敷地まで境内がありました。)    
右~二尊寺参道(薩摩街道横から国道443号線を越えて参道がありました。)


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市場東の地蔵尊(ここから瀬高町下庄宿の入口です。)
市場通りの民家(古い民家と思われます。)


瀬高に2つの宿駅(人馬継所)がありました。

下庄宿・・・・上りの旅人。上庄宿・・・・下りの旅人。

理由 (1)旅人の通行量が多い。  (2)追分路を持つ。

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寺院跡(今は空地です。)の説明とその横に寺院の名残の13仏。

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松尾宮(酒の神様)

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松尾宮の以前の鳥居上部(酒屋の名前が刻まれています。)

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左~伊能忠敬測量基点之地   右~左の斜め前にある旧酒屋建物。

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伊能忠敬測量基点之地

伊能忠敬一行は瀬高町域を測量したのは、文化9(1812)年の2月と10月の2回である。

1回目は、2月8日で、坂部・今泉らは、久留米領今寺村(筑後市)から測量を始め、柳川領本郷・中山・瀬高上庄・瀬高川(矢部川)を計測し、瀬高下庄の三池街道追分に高印を残した。

そして大竹・上小川・吉井・松延・北広田・清水・竹ノ井・野町・立山・原町宿出口まで測り、一向宗松林山西乗寺と松屋喜兵衛宅に止宿しました。

伊能忠敬・永井ら一行は、羽犬塚を出立し、無測で瀬高下庄に来て、この地点(「伊能忠敬測量基点之地」)から測量を始め、真木・井手ノ上・長島まで測り、瀬高町本陣竹次郎、別宿喜三右衛門宅に止宿しました。

左~旧江崎銀行(現在、吉開蒲鉾店工場)  右~星隈酒造

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左~下庄の渡し説明  右~対岸(上庄)の渡し付近。

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瀬高(上庄・下庄)の渡し

中町の星隈酒屋を右に曲った枡形を街道は現在の国道手前付近の木戸門を通り瀬高の渡しに降りて対岸の住吉浜に渡ったと思われる。

文政・天保(1818~1843年)の頃、粗末な橋が出来て渡り賃を取ったので「賃取橋」または「ガタガタ橋」と呼ばれました。
洪水の時は、梁は橋脚から外れて岸に流され、減水すると元に返す橋でした。

大名など高級武士のためには岸まで舟を並べ、つなぎ合わせた舟橋を架けました。

  文は「薩摩街道を歩こう」の資料より。

下庄の渡しから瀬高図書館までの歩きコースは薩摩街道ではありません。集合地までのコースです。

by kusennjyu | 2010-11-05 19:47 | 薩摩街道
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