みやま市歴史講座現地見学会1(清水山の文学碑探訪)
平成22年11月10日
講師 大石 實 先生(小郡市在住・古典の先生で退職)
著書 『福岡県の文学碑 古典編』(1999年 海鳥社) 日本自費出版文化賞(努力賞)受賞
『福岡県の文学碑 近・現代編』(2005年 海鳥社)
みやま市の文学碑 現地で確認した文学碑 総数 41基(古典関係 1基・近・現代関係 40基)
13時30分~14時30分まで講義。
清水山の文学碑探訪 8基 14時40分出発。
1・松瀬青々句碑


句碑 般若読む日暮に花を踏み帰る
清水寺本坊入り口 魔羅観音(子授観音)前 昭和40年4月11日建立
作者 明治2(1869)年~昭和12(1937)年 俳人。大坂生まれ。松尾竹後の俳句の先生。
直径77cmほどの石臼利用、扇面状に碑面を研磨し、句を刻む。右写真の左から2行目は「大きな花という字です」。
2・北原白秋歌(短歌)碑


清水寺本坊前庭 北原白秋歌碑拓本。 採拓者 大石 實

短歌 ちゝこいしはゝこいしてふ子のきじは赤とあをもて染められにけり
漢字文 父恋し母恋してふ子の雉子は赤と青もて染められにけり
清水寺本坊前庭(右手) 昭和33年3月21日序幕された。
現在は銀杏の木が根を張り、踏み荒らすため、立ち入り禁止になっています。
本坊前庭には柵が設けられ、碑には近づけない。碑面の向きも参道からは見えない。
作者 明治18(1885)年~昭和17(1942)年 柳川市出身
3・松尾竹後句碑


句碑 しづかにも月の僧坊さまたぐる
建立 清水寺本坊前庭(左手) 昭和46年7月15日
本坊庭園の奥に最初の句碑があるが、人目につかないため住職鍋島氏が懇望により、この」句碑が建立された。
裏面 昭和46年7月15日 竹後忌に建立 門下 上津原珊々 上津原太希子
4・松尾竹後句碑

写真は本人の能書家との評判にたがわぬ揮毫である。
span style="color:rgb(0,153,51);">秋風は姿を雲に吹きにけり
清水寺本坊前庭(奥) 昭和33年9月23日建立
この写真の池がある奥の道を行ったところにあるそうです。

清水寺参道のきじ車を売っている手前(本坊庭園の旧道を上がった先)に写真左の石柱が建っているが、
これは句碑ではありません。
右写真の藪の奥にあり、人が入られないところにあります。
講師の先生が市の担当者に「石柱」付近に移転する必要がありますねと言われていました。
裏面(一部略)
松尾竹後先生は明治15年11月 柳川藩家老由布雪下翁3男として邪馬台国女山の産。
日露戦争従軍中、故ありて外戚松尾氏の籍に入り更に分家。
伝習館在学時代、文学を以って北原白秋と深く交わる中、俳句を識り、後松瀬青々師会下の俊髦として遂に一家を成す。
明治40年上京、昭和16年に病を得て帰臥。清水寺庭園を句作の道場として愛惜する。
先生の喜寿に当たり門人相謀り茲に之を立つ。
補足
昭和17年秋から23年春まで瀬高に居住。その後は、佐賀市の実妹方に居住。昭和35年没。
作者生存中に建立された唯一の句碑です。
番外 左~本坊庭園 右~清水寺三重の塔付近の石蕗(つわ)

佐藤春夫の歌(清水寺本坊本堂の庭園が見える所に、本坊庭園の由来と佐藤春夫を歌が紙に書いて貼ってあります。)
この庭に石蕗(つわ)みてしよりめでたきを
菊にまさるとおもいそめてき 佐藤春夫
清水寺庭園の上の段は後で作られたもので、今が写真のように石蕗(つわ)が黄色の花を咲かせていて、とっても赤と黄色の調和がとれてきれいですよ。
私は石蕗(つわ)の黄色の花を見るのは初めてです。感激しています。
大石 實 先生の資料より