人気ブログランキング | 話題のタグを見る
千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
2010みやま市歴史講座現地見学会2(千寿の楽しい歴史)
みやま市歴史講座現地見学会2(清水山の文学碑探訪)  

平成22年11月10日

4・高浜年尾句碑

左~高浜年尾句碑  右~その前で説明を聞く人たち。

2010みやま市歴史講座現地見学会2(千寿の楽しい歴史)_a0137997_2117543.jpg2010みやま市歴史講座現地見学会2(千寿の楽しい歴史)_a0137997_21171656.jpg


観音に詣るこゝろに梅雨晴れて

清水寺仁王門上手   昭和55年8月18日除幕

作者  明治33(1900)年~昭和54(1979)年 俳人。 東京生まれ。高浜虚子の長男。

その他  昭和47年6月3日に船小屋温泉で九州四季会が開かれ、翌日に清水寺を銀行し、本坊で句会が開かれた。この句は、その折の年尾の作。

5・芭蕉塚・別名 (甍塚) 
 
観音の甍見やりつ花の雲

清水寺仁王門上手(高浜年尾句碑の後方、谷の向こう)

案内板(一部略)

芭蕉は、九州への旅を望みながら、志を果たすことなく、元禄7(1694)年、大阪において51歳で病死しています。

この碑は、江戸時代末期、柳川藩の俳諧師、石田茂山(現在の大和町鷹尾の人)とその門人たちによって、建てられたものと伝えられています。

その他  碑面は風化が進み、何と刻まれているかは、確認できない。

7・與田準一詩碑

2010みやま市歴史講座現地見学会2(千寿の楽しい歴史)_a0137997_21321154.jpg2010みやま市歴史講座現地見学会2(千寿の楽しい歴史)_a0137997_21322141.jpg


山上水遠の  なかにあって  白雲霊夢を   おもう

花影月露の  なかにきこえる  乳父慈悲の  こえ

除幕式資料の解説

「山上水遠」・・・東山とそこから展望される矢部川、有明海。

「白雲霊夢」・・・清水寺と乳父観音の由来を表象した。

「花影月露」・・・春と秋を象徴するものとして、第一連の空間に対比して時間を表わす。

「乳父」・・・・・・観音と両親の重映。

清水寺三重の塔前広場  昭和57年11月3日建立

作者  明治38年、瀬高町に生まれる。昭和3年、上京して、北原白秋に師事し、のち童謡童話作家。  

     日本文化協会の第一回児童文学賞受賞。

左~清水寺三重塔  右~秩父観音

2010みやま市歴史講座現地見学会2(千寿の楽しい歴史)_a0137997_21545415.jpg2010みやま市歴史講座現地見学会2(千寿の楽しい歴史)_a0137997_2155524.jpg


8・北原白秋長歌碑

左~北原白秋の長歌碑  右~講師から説明を聞く人たち。

2010みやま市歴史講座現地見学会2(千寿の楽しい歴史)_a0137997_21581860.jpg2010みやま市歴史講座現地見学会2(千寿の楽しい歴史)_a0137997_21582799.jpg


碑文  山門の歌  北原白秋   ※碑には、読み仮名は付けられていない。

山門はもうまし邪馬台(やまと)、いにしへの  

卑弥呼(ひみこ)が国  水清く、野の広らを、

稲豊(ゆた)に酒を醸(かも)して、菜は多(さは)に

油しぼりて、幸(さちは)ふや潟の貢と、

珍(うず)の貝・ま珠・照る鰭(はた)。

見さくるや童が眉に、霞引く

女山(ぞやま)・清水。朝光(あさかげ)よ雲居立ち立ち、

夕光よ潮(うしほ)満ち満つ

げにここは邪馬台の国、不知火や

筑紫潟(つくしがた)、我が郷(さと)は善しや。

反歌  雲騰(あが)り潮明るき海のきはうまし邪馬台ぞ我の母国(おやぐに)

清水山第二展望台(茶屋「竹屋」西方)  昭和60年1月25日建立  北原白秋生誕百年記念

         石橋 實 先生の資料より

by kusennjyu | 2010-11-11 22:24 | みやま市観光 |Topに戻る