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千寿の楽しい歴史
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2010みやま市歴史講座現地見学会3(千寿の楽しい歴史)
みやま市歴史講座現地見学会3(清水山の史跡編)   

平成22年11月10日  文学碑を訪ねての時

魔羅観音(子授観音)  清水寺本坊庭園入口

2010みやま市歴史講座現地見学会3(千寿の楽しい歴史)_a0137997_8344885.jpgここの観音様は、五穀豊穣、子孫繁栄、家庭円満、商売繁盛、無病息災等を祈願すれば、非常に霊験あらたにしてご利益があるというので今なお信仰者が絶えません。

観音様は「ねむ」の木で作られた男性根を、女性器を形作った台座に安置されています。

子宝に恵まれても母乳が出ない人は三重の塔の横にある秩父(父婦)観音に祈願すれば、あふれ出る様になるご利益があるとされています。

魔羅観音とは、吾々の内外にいる魔物を羅殺し守護して下さる観音様のことで、地方では一般に道祖神、猿田彦神、幸神、妻神、寒神、道陸神等々といわれているが、瀬高地方では(さやん神)ともいう。

     みやま市商工観光課

横に並んで「松瀬青々句碑」があります。

本吉山清水寺本坊庭園

2010みやま市歴史講座現地見学会3(千寿の楽しい歴史)_a0137997_1051839.jpg2010みやま市歴史講座現地見学会3(千寿の楽しい歴史)_a0137997_1053130.jpg


この庭園がつくられた年代は寺の歴史の上からと現在の庭園の在り方から考えて室町時代の終わりごろにつくられたものが、元禄時代に整備されて今日に至ったのではないかと言われています。
作者については作風と時代的なものから雪舟の作と思われます。

元禄時代に整備されたものが完全に残っているので、大変貴重なものとして昭和4年4月に名勝として国の指定を受けました。

東(正面)南北の三方が小高い山に囲まれ、台地の下に池や島をも設け、右の方遠くに緩やかな瀑(たき)を望み左の方近くに急に落ちる瀑がつくられ緩やかなものと急なものが心の字をかたどつた池(心字池)に注がれて1つになるのです。

池のほとりや島には巧みに石を配置し自然美を最もよく生かした泉水庭です。なお近く東の山から陰暦9月の名月が遠くの奥の山から仲秋の名月が出るのを眺められるのも作者の苦心の程がうかがわれます。

     みやま市商工観光課

この庭園は自然の美と人工の美とを大変うまく調和させたものです。多くの人力、機械力、大金を」かけてつくるより自然の美の美しさを取り入れることが人間にとって如何に大切であるかを示してくれています。九州に数ヶ所しかない名勝の一つである本坊の庭園を考えてゆきたいものです。


この庭に石蕗(」つわ)みてしよりめでたさを

   菊にまさるとおもいそめてき   佐藤春夫  

                         照雪 

一部が本坊前庭の案内板に書いて設置されています。  

みやま市商工観光課

五百羅漢

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お釈迦さまの弟子五百人の「自覚」への道をこゝろざす修行僧の群像である。こゝの羅漢像は、文化、文政の頃より大正年間ころまでに奉納されたもので、一体一体が違った表情の見事な首がついていたのであるが、昭和初年ころまでの数体を最後に、明治以降誰人の悪戯か全部首が落とされてしまった。

五百種の表情の中には必ず亡き人の面影がそこにあった。それ故に亡き親に会いたければ「羅漢さんにめーなはれ」といわれたものである。

今、その顔が見られないのが惜しまれて成らない。永い間、首のない状態を見つゞけてきた里人たちは誰言うとなく「首なし地蔵」と呼ぶようになった。

最近、夢告(ゆめのおつげ)により誰人の行為か知らぬ間に首がついた。

「羅漢」は阿羅漢の略にて、修学すでに成り学ぶ可きものは何もないという意で「無学」とも呼ばれ、尊い人の称で後世には、自からの覚りのみを目標とし、他人を覚りの方向へ誘導することはしない修行者のみの呼称となった。

               みやま市商工観光課

by kusennjyu | 2010-11-12 11:11 | みやま市観光
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