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千寿の楽しい歴史
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2010みやま市歴史講座現地見学会4(千寿の楽しい歴史)
みやま市歴史講座現地見学会4(清水山史跡編2)    

平成22年11月10日

仁王門

2010みやま市歴史講座現地見学会4(千寿の楽しい歴史)_a0137997_14244694.jpg寺院浄域の入口にあり仏法を守護する役目を持つ「金剛力士」の像を安置した門で、延享3(1746)年、藩主藩民の寄進によって建立されたものである。

仁王像の高さは約2.4まり、右の像は口を大きく開けて「阿」を表わしすべてのものゝ発生、根源を意味しさとりを求める心を示し、左の像は口を結んで「吽」を表わしすべてのものゝ帰着を意味し、修行の結果としてのさとりを示すのである。

このことに関連して「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉がある。仁王尊は大力を授けるということから身体強健を祈って大きな草鞋(わらじ)を奉納し、又その草履に触れると脚が強くなるといわれている。

        みやま市商工観光課

清水寺山門(楼門)

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この山門は、木造入母屋二階造、階上、階下とも36.3m・造営当時は桧皮葺でありましたが、現在は銅板葺に替っています。

延享2(1745)年、柳川初代藩主立花宗茂公より第6代目の藩主立花貞則公が願主となって、大城源右衛門を大棟梁とし建立させたものであります。

この山門は当時の柳川藩の建築技術水準の高さを示す威儀正しい建築といわれています。

階上には釈迦如来・文殊菩薩と、これを守護する持国・広目・増長・多聞の四天王の像が安置されています。

          みやま市商工観光課

清水三重塔  昭和30年3月5日   福岡県文化財指定

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清水三重塔は本来寺院のシンボルで釈迦佛の遺骨を納めて礼拝する信仰の対象物であります。

この塔は文政5(1822)年、柳川10代藩主立花鑑賢公領内住民近国の信者の寄進により柳川大工宗吉平衛が大阪四天王寺の五重塔を手本に20両をかけ14年の歳月を費やして天保7(1836)年、完成したものであると伝えられています。

塔の高さは初層まで5.5m、二層・三層はそれぞれ4.5m、屋根に立つ相輪まで27mであります。

天台宗密教の建築様式により設計されており創建以来百数拾年の風雪に堪えて来ましたが近年に至り白蟻被害のため倒壊寸前にあった所、この間町をあげて復元奉賛会を組織し県内はもとより遠く東京、名古屋、関西方面の有志の寄進により欅(けやき)・楠等400石(110立方m)の木材が使用された芯柱・四天柱・側柱・床板等は古材を用いて原形をそのまま生かし補修のあとが目立たない様に工夫され昭和41年11月に完成しました。

          みやま市商工観光課

秩父観音
2010みやま市歴史講座現地見学会4(千寿の楽しい歴史)_a0137997_1534371.jpg本吉山、清水寺の開祖、伝教大師(最澄)の弟子、円仁(慈覚大師)は、唐より帰朝の途次、霊夢により師僧・伝教大師の足跡をたずね、世の子供達が健全に育つようにとの願いをこめて、観音像を彫刻し、嘉祥元(848)年、堂宇を建立し供養せられたと伝えられる。

やらい「秩父観音」と親しみ呼ばれ乳不足に或は乳の病気に悩める女親達の篤い信仰に守られながら今日に至っている。

お堂に奉納されている母子の像や布地の乳房等は御願成就のしるしである。

          みやま市商工観光課




          
by kusennjyu | 2010-11-12 15:48 | みやま市観光 |Topに戻る