水郷柳川(道標と細工町)をゆく 12月4日 晴れ
道標と横の掘割
瀬高御門外の道標
この道標は、文政11(1828)年に歌人 大村晴樹によって瀬高御門の正面に建てられたみちしるべです。
藩政時代、同じ柳川領内でも瀬高御門を一歩出ると寂しい田舎道で、旅の安全を祈り、合わせて疫病神の城下への侵入を防ぐため建てられたものでしょう。
正面は西を向き、中央に「猿田彦太神」、右横に「
すぐ北せたか道 左西やな河まち」、
左横に「
右西やな河まち すぐ南ミけ(三池)道」と刻まれています。
猿田彦太神は、道や街(ちまた)を守る神で、道の分岐点、追分、村境などに建てられ、道祖神として、信仰の対象となっています。
平成9年3月 三橋町教育委員会より。
道標と掘割の横に建つ風浪宮 新町
柳川城堀水門付近に入る前の川下り
真勝寺 細工町
左~楼門 右~楼門前の詩碑
詩碑 真勝寺けふの彼岸の夕たけて 種市了へぬ春の種市 白秋
左~本堂 右~本堂床下にある田中吉政公の墓
慶長5(1600)年 関ヶ原の戦いに敵将石田治部少輔三成を捕らえた功により、三河国岡崎城主から筑後一国33万石余の国主となった田中吉政は、柳川城の整備、天守閣の建築、筑後川・矢部川の治水事業、道路の新設・整備など土木事業に多くの業績を残しました。
真勝寺の寺伝では、遺命により
2代忠政が慶長16(1611)年吉政の遺骸を藤吉村に葬り、その墓上に一大伽藍を建立しました。
それが今の真勝寺で、本堂下にある吉政の墓石は、極めて質素な四角柱で、本堂自体が吉政の墓になっています。
墓石は、本堂の北側から床下を通って参拝できるようになっています。また真勝寺には田中吉政の絵像があります。
本堂内部
柳川に帰ってきたばんも。
11月8日の問題の回答をします。
1・おかっつぁん(お方様)~お嫁さん。 花おかっつぁん~花嫁さん。おかっつぁんぶれめ~花嫁さんのお披露目。 2・おどんげへんさんも(俺共家辺・・・・)~私たちの地方にも。
3・おとんことんなか(音ん事んなか)~全く音沙汰がない。 4・おばやき~鯨の食用にする白い脂肪の部分。
5・おひゅぎん(お給銀)~お駄賃。 ひゅうぎん~日給・賃金。 ひゅうとりさん~日雇い人夫さん。
6・おもす(蒸す)~蒸(む)れる・蒸し暑い。 7・おらぶ(叫ぶ)~大声を上げる・大声を上げて呼び寄せる。
8・おりめすかんも(居り召す・・・・)~いらっしゃいますか。 居り召すか~いられますか。
9・おろ~不十分。 微かに等の意を付ける接頭語。 おろ甘か~あまり甘くない。
10・おんづめ(奥詰)~行きどまり・奥地。
今日の問題です。
1・かさらん 2・かたする 3・かつるる 4・がまだしもん 5・かわりごーし
6・かんえー 7・かんなし 8・かんまわん 9・かんめなし 10・かんも