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千寿の楽しい歴史
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2010矢部往還の里石を訪ねて(千寿の楽しい歴史)
矢部往還の里石を訪ねて   

平成22年12月10日  晴れ

四里石(山下宿を過ぎてすぐに田んぼの中にある。)とその前の道   

所在地  八女市立花町山下

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里程表示石柱 立花(四里石) 町指定文化財(歴史資料)

関ヶ原の戦い(慶長5年、西暦1600年)の後、筑後の国を領有した田中吉政は領内かくちにの道路の整備や河川の改修、干拓事業を行い、領民のために尽くしました。

柳川城の辻の門(柳川市辻町)を基点として矢部川の南岸に沿って矢部村まで36町(約4km)を一里として、一里ごとに石柱を建てさせました。

この山下の四里石は柳川の辻の門から四里(約16km)を示すもので、この場所を矢部街道が通っていました。

橘町にはこの他に五里石が原島付近に、六里石が田形に建てられていたようですが、現存していません。

この四里石は当時の交通・通路の様子を知る上で貴重な資料です。

石の大きさは 高さ110cm、幅29cm、厚さ23cmです。

 平成11年3月 立花町教育委員会


三里石   

所在地  みやま市瀬高町長田   水上小学校とくすのき館の間で道路南側に立っています。

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江戸時代の初期の慶長9(1604)年頃に筑後領主田中吉政は城下町下前の札の辻(現在、柳川市辻町)を基点として、黒木・矢部に至る矢部往還に一里(4km)ごとに石柱を設置させました。

その配置は柳川から一里の久末、二里の中山、本郷と坂田を過ぎて三里の長田、小田を過ぎて四里の山下に通じ矢部の国境に至っていました。

特に、ここの石柱に三里と刻んでいることは、基点から12kmの距離と共に、長田村域(当時は、南長田村)であることも表わしています。

長田の三里石は、平成22年に長田湯辺田瀬高線(旧矢部往還)の歩道設置工事により南側3mの現在地に移築されました。

昔時を思いめぐらせ、後世に引き継ぐうえからも歴史の証、貴重な史跡として大切に保存してまいりましょう。

      平成22年4月1日 水上校区まちづくり協議会

二里石  

所在地 柳川市三橋町中山 信号の西南に移築されました(前は信号の東北にありました)。

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関ヶ原の合戦で石田三成を捕らえた田中吉政は、慶長6(1601)年に筑後33万石の領主として柳川城に入りました。  

吉政は柳川城の大掛かりな改修や長大な干拓堤防(慶長本土居)の築造、柳川城と支城の久留米城とを結ぶ通称田中道を初めとする幹線道路の整備などを行いました。

そして、筑後全域の道路に柳河辻町の札の辻の標石(現在の柳川市辻町交差点)を基点とする一里ごとの標識を置きました。

標識として、瀬高道、三池道など筑後南部には標石(一里石)が建てられ、田中道(久留米往還)など筑後北部には塚(一里塚)が造られました。

この二里石は、柳川から矢部川沿いに豊後国(大分県)に向かう道路に置かれたもので、川に近い二里石付近は堤防上に道路がつくられいました。

手前の一里石は久末にあります。この道は二里石の先で二手に分かれ、もう一方は現在の筑後市を経由して久留米に向かっています。

逆に中山から柳川に向かうと、柳川から肥後、薩摩に向かう街道に合流します。
そのため、江戸時代の中山周辺は人の往来が盛んであったと考えられます。

当時の二里石は大正期に堤防を低めた際に失われ、現在の二里石は昭和57年に地元有志によりほぼ元の位置に復元されたものです。

平成22年3月 柳川市より。

一里石 所在地 柳川市三橋町久末

2010矢部往還の里石を訪ねて(千寿の楽しい歴史)_a0137997_15433364.jpg柳河藩は、元禄14(1701)年一里石の整備をしている。

当、一里石は、筑後柳河城辻門前の札の辻を起点として、柳河城下を隔てる一里の道標である。

なお、この街道は、矢部~南関に通ずる大切な街道であった。


平成6年3月 三橋町教育委員会より。
by kusennjyu | 2010-12-10 14:36 | 矢部往還
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