人気ブログランキング | 話題のタグを見る
千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史
二川焼登窯(みやま市高田町)を訪ねて 

平成22年12月15日 曇り 参加者6人

写真による二川焼登窯(左~角氏宅・右~富重氏宅)

2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20295087.jpg2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20311376.jpg


二川焼きの作品 クリックすると拡大します。

2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20322092.jpg2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20325312.jpg


現在の状態(角氏宅)

2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20363385.jpg2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20365021.jpg


2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20373278.jpg2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20374118.jpg


2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_2038387.jpg2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20381349.jpg


現在は使用されていないため、周囲は草で覆われ、一部崩れ落ちた状態である。

しかし、中を覗くと驚くほど広く、普通の大きさの赤レンガをきれいにアーチ型に並べて作られている。

登窯の長さは段々に何段もあり約20mある。

上楠田には昔から良質の粘土が豊富に産出したので、瓦や甕(かめ)が相当古くから焼かれていた。多くの窯跡が上楠田から下楠田にかけて散在する。

二川焼は佐賀県弓野窯(ゆみのがま)の手法を伝えたものといわれ、赤土の素地に白土を掛け、その上に刷毛描、指描、へら描で直条線や波条線を施したり、褐色と緑の一筆描きで松絵模様を簡素に雄渾に表現した作品は、民芸陶器として高く評価されている。

明治の初期頃、弓野の陶匠米作(よねさく)によって始められた二川松絵半胴甕(はんどうがめ)も、時代とともに変遷(へんせい)し、ろう皿、こね鉢、すり鉢、植木鉢等と移っていき、終戦近くに「湯たんぽ 」「飯椀」を製造した最後に、二川登り窯の火は消えてしまった。

現在の状態(富重氏宅)

2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20474950.jpg2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20483955.jpg


2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_2049427.jpg2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20491995.jpg


登窯の後ろ上から撮ったもの。

2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20494215.jpg2010二川焼登窯(みやま市高田町)千寿の楽しい歴史_a0137997_20495429.jpg


住宅の北東に登窯が草に覆われ一部が破損して残されている。

庭の花壇に登窯に使用された厚くて普通より大きめのレンガがいくつも並べられている。

以前は製品や原料の置き場は作業場と変わり昔の面影は残されていない。

by kusennjyu | 2010-12-15 20:50 | みやま市の文化財 |Topに戻る