同帰会ニュース
校内マラソン大会(平成22年12月18日土曜日)
現在は大牟田市岬の黒崎第二公園とその付近で実施されているのですね。
移動は自転車・路線バス・臨時バスで行っていると同帰会担当の先生から聞きました。
男子は8.5Km・女子は4kmのコースを走ります。
私の校内マラソン大会思い出(昭和41年1月頃)
校内→七浦町→勝立→旧勝立トンネル→檪野→教楽来トンネル→県境付近までの折り返しコース。 約10km。
12月になれば体育の時間に勝立(約3km)のマラソンの練習がありました。
私はクラス(約50名)で10番以内を走っていました。
左~校門前の坂を一気に駆け下りる風景。 右~途中の風景。
昭和41年卒業アルバムより。
地名の説明 石川保先生の「大牟田の地名」より。
上官町(じょうかんまち)上官校区
大正8(1919)年、大牟田市の大字の地名(当時は大牟田、横須、稲荷、下歌里)を廃止して、新町界(しんちょうかい)町名を施行したとき、大字下里(さがり)の一部によりできました。
七浦町(上官校区)
大正8年、大牟田市の大字の地名を廃止して、新町界(しんちょうかい)町名を施行したとき、大字下里(さがり)の上枝折坂(カミシオリザカ)、暖溜(ヌクタマリ)、七浦(ナナウラ)、狐坂(キツネザカ)、堤ノ上(ツツミノウエ)を七浦町と設定しました。
大字勝立(かつだち)
勝立という地名は、檪野・教楽来(同じ玉川地区)で共に文禄4(1595)年、豊臣秀吉が立花直次(初代三池藩主)に領地として認めた朱印状の村名に出ています。
筑後地鑑(天和3年=1683=に著した郷土史)という江戸時代前期に書かれた本には
刈立と書かれています。
カツはカタの転化で、片方という意味です。タチはタツと同じく高くなっている所ということです。
大字檪野(いちの)玉川校区
朱印状には、「
いちいの」と書かれています。
別の文書(もんじょ)には枉野(筑後地鑑)、桂野(南筑明覧)とも書かれています。
檪野はイチイガシの木が生えている緩やかな地形(野)に人々の呼び名が定着したと思われます。
大字教楽来(きょうらぎ)玉川校区
教楽来は大牟田の南東の端で、諏訪川(熊本県側は関川という)を挟んで熊本県荒尾市と、東の山地を境に熊本県玉名郡南関町と接しています。
キョウラギという地名は、九州では次の3箇所があります。
北九州市八幡西区
京良城
熊本県天草郡松島町
教良木
佐賀県唐津市
厳木町
どこも昔の国や郡や村の境界(今も)にあるようです。
その境界には
塞(サイ、さかい)の神を祭り、外からの禍(わざわい)を防ぎました。
その塞の神の霊木が
「清ら木(きよらぎ)」で、その木のある地をキョウラギというようになりました。
三池街道(大牟田檪野⑦)千寿の楽しい歴史 クリックすると移動します。
旧勝立トンネル貫通事業に貢献した
江口政平氏の頌徳碑(しょうとくひ)についてあげています。
旧勝立トンネルは、私たちが卒業した直後に壊され、道路が広くなり、上には街道橋(人道橋)が架かり、旧三池街道を通ることが出来ます。
旧三池街道は県道の西側の山道を通り、国境の岩本番所跡へ出ます。
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