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千寿の楽しい歴史
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和泉ケ城(四)写真編・幸若舞2011
和泉ケ城(四)写真編  1月20日    大江天満神社奉納の幸若舞

左~鼓方~松尾正巳   右~3人舞台

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太夫~松尾裕二  鼓方~松尾正巳

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シテ~松尾義文

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ワキ~堤日出夫
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和泉が城(勝負事)平成22年分より。

八幡太郎義家、此国に下向有て、安倍の貞任をせめほろぼし、我等が先祖美達の権太郎清衡に、此国の守護を給はしより此方、其子に小次郎基清衡、今秀衡三代は、国をだやかに納り、・・・・・弓矢の家の名をえし事

兄弟五人(三男  和泉三郎)  
            
和泉ケ城(四)   40歳代の成人演舞

西国八嶋の合戦に、義経が御供申し能登守の矢先に当て、むなしくなったりし、佐藤次信が妹なり、奥州五十四郡が其内にて、かくれも無き太刀の剛の者、忠衡矢蔵に上れば、女房城戸をかためて、手退た味方の軍平に、しばらく息をつかせんとて、重立とつてさしかざし、大手の城戸に向ひしは、実に頼母しうぞ、見えにけり。

くつきよの兵者を、十七、八騎はらりと射られ、少しく、矢ぐらに引しりぞき、矢だねつくれば、矢蔵をゆらりと飛んでおり、打物のさやをはづし、夫婦共に切手出る。

次は動画にて和泉ケ城を鑑賞して下さい。
by kusennjyu | 2011-01-27 09:07 | みやま市の文化財 |Topに戻る