大江天満神社由緒 1月20日 大江天満神社にて
動画(幸若舞奉納終了後に松尾正幸教授説明)
大宰府天満宮直属分霊社と天井絵について
左~由緒 右~扁額
「大宰府神社」の由緒と扁額。
「大江天満神社」は「大宰府天満宮直属分霊社」であることが判明し立板が掲げられている。
大満江天神社拝殿扁額 『大宰府神社』の由緒について
大宰府天満宮は明治新政府の布告により、明治5年6月に大宰府神社と改称された。
そして、再び昭和22年2月に大宰府天満宮と再改称され現在に至っている。
大江天満神社拝殿扁額は、大江村の庄屋職や戸長職を勤めた瀬高町大字小川字金栗の西田幹治郎とその父寛忠により、明治9(1876)年4月に完成し掲示された。
文字の揮毫者は柳河12代藩主立花鑑寛(あきひろ)公の侍講で、伝習館助教授兼寺社方を命ぜられた
安武厳丸(やすたけいずまる)であり、達筆家として知られた当代超一流の学者である。
扁額『大宰府神社』の扁額掲示の意義は、平成19年9月 、大宰府天満宮側と大江天満神社側との協議の場に於いて「大宰府神社(現大宰府天満宮)の御分霊を奉祀した証として掲示され大宰府神社(現大宰府天満宮)の直属御分霊社である」として確認された。
大江天満神社 氏子一同 平成21年5月吉日
次回は大江天満神社の天井絵をあげます。ご期待下さい。