先祖供養(田尻西共同墓地) 4月10日(日) 天気・快晴
墓地と桜
墓地内の忠霊塔(第二次世界大戦戦死者供養碑)
海軍上等水兵の伯父(38歳)が昭和20年3月17日に硫黄島で戦死と彫られています。
話では38歳だから行かなくても良かったのに志願して行き、島に上陸する前に撃沈されたと聞いています。
父は戦争から帰国してから戦死した兄がしていた家業を継ぐ、現在は弟とその子(5代目)が継いでいます。
父は軍隊で車の運転手をしており、西鉄バスの運転手になるつもりでしたが、母(祖母)に反対され家業をついでいます。
もしも、父が運転手をしていたら、私たち兄弟は生れていません。生まされたことに感謝します。
伊藤大将の墓前祭が7日に行なわれた。 4月9日有明新報記事より。
みやま市高田町出身の伊藤整一海軍大将の冥福を祈る。
伊藤大将と第二次世界大戦中に戦艦大和と共に運命を共にして亡くなった人たちを悼み冥福を祈る。
伊藤大将は明治23年生まれ。当時の開尋常小学校、岩田高等小学校、中学伝習館(現在の柳川市の伝習館高等学校)を卒業する。
昭和19年、第二鑑隊指令長となった。当時は中将であった。
昭和20年4月7日、第二鑑隊の旗艦である大和に座乗し、鹿児島沖で海戦の末に戦死した。
墓地は高田町と大牟田市の境界を流れる隈川に架かる旧金助橋を渡り約100mの大牟田市岬にある。
生家はみやま市高田町黒崎開字御手作に残っているが、現在は移転されて誰も住んでおられません。