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千寿の楽しい歴史
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2011鷹尾城跡・鷹尾神社周辺を訪ねて・千寿の楽しい歴史
鷹尾城跡・鷹尾神社周辺を訪ねて

因福寺

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因福寺六地蔵塔   大和町文化財

指定  昭和53年11月14日   所在   柳川市大和町大字鷹ノ尾832

南筑後平野に分布する丸彫式六地蔵塔の典型的なもので、安山岩でつくっています。

高さは2m27cmあり、竿と基礎とを一石造りにしたもので、下張り、上細りの方柱です。
基礎部は荒削りとし、竿部は磨き仕上げにしています。

竿の上部には、梯形の龕(かん)を穿ち、中に僧形座像を浮彫し、龕の廻りに刻銘があります。
龕下に蓮台を造り出し、左右に刻銘がありますが、下部は破損していて、完読は不可能です

本塔は、鷹尾城主田尻伯耆守親種の二男田尻大介が、天正5(1577)年に剃髪して教圓と号し、親種の子鑑種の弟新佐入道のためにつくった供養塔と伝えられています。

この寺は草創当時は禅宗に属し、光明寺と称しましたが、寛永年間(1624~43年)、田尻大介(教圓)が因福寺として中興再建、その後、真宗となりました。

       大和町教育委員会の説明板より。

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菊池氏一字一石塔   大和町文化財

指定   昭和53年11月14日   所在   柳川市大和町鷹ノ尾字島

天正の頃(1573~91年)、島地区は、矢部川河口の島で、有明海の波うちぎわに位置していました。

葦の生える海岸一帯を拓き、島堀切村数十町歩(ヘクタール)を開拓したのは、米良信之(島信之)という人です。

この一字一石塔は、島信之より3代目の島信家(十右衛門)が若宮神社に四十八夜の読経をつとめて建立したものです。

平石の自然石の表面に梵字を刻み、平石の下に供養のため、法華経の字を一字づつ書いた小石63839石を埋めています。島信家は、篤い仏教信者で、祐慶と号しました。

島氏は、もともと肥後国隈府(現在の熊本県菊池市)の城主菊池氏の一族ですが、戦国動乱期に、日向国米良郷(宮崎県児湯郡西米良村)で米良氏を名乗りました。

そして、島に来て島氏と改め、明治になって菊池の旧姓に戻したのです。
米良氏・菊池氏・島氏は、みんな同族です。

      大和町教育委員会の説明板より。

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by kusennjyu | 2011-04-14 11:37 | 田尻氏の郷の散策
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