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千寿の楽しい歴史
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2011矢部街道(八女市矢部村)を行く・千寿の楽しい歴史
矢部街道(八女市矢部村)を行く   

平成23年4月13日 快晴

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旧柳川藩志の寛保年間旧柳川藩領地図の一部切り取ったものである。

江戸時代、矢部村は矢部川を境に、右岸の北矢部は久留米藩領、左岸の矢部は柳川藩に属したが、同じ一里塚の道程にしても、柳川藩には一里石が建てられ、久留米藩には一里塚が築かれ、榎(えのき)や欅(けやき)などの一里木が植えられていたが、久留米藩の一里塚は現在、八女地方には残っていない。

矢部街道はほとんど尾根を越え、谷を渡って細々とつづく杣道(そまみち)であった。

大淵の上月足から通称朝開き(おそらくここに朝日が一番早く当たったであろう。)から九十九折(つづらおり)の急坂を越え、日向神の黒岩トンネルの上おうむ岩を巡って椎葉に抜け、谷野から伊良(いらどう)・蚪道(いらど)を通って西園、飯干、笹又、所野へと続いていたようである。

現在の日向神ダムの南側の山道を越えて行っている。当時は、川沿いは険しい崖であったと思われる。私たちは、谷野から伊良道へ上る。

のちに、椎葉から分岐して谷野に下り矢部川沿いに上って飯干、笹又へ通じる新道が出来たという。

現在、西園橋の三叉路に「右大ぶち左ひご道」と刻まれた石の道標が建っているが年代が判らない。

笹又の三叉路に建っていたのをダム水没のため、現在地に移したものである。

嘉永6(1853)年に、大淵村寄谷の篤志家良作という人が、黒木町大淵の牟田峠に「右肥後道・左矢部」という道しるべを建てて、肥後方面や矢部・豊後に旅する人の利便を図っているが、笹又の道しるべも、あるいはその良作という人が建てたかも知れない。

黒木町から矢部村柴庵まで七ケ所の瀬を渡っていたが、そこには小さな板橋か丸太橋が架かっていたであろう。


また、久留米領から柳川領へ、柳川藩から久留米領へ交互に入っているのがおもしろい。

険しい谷間がつづくこの地では、両藩の了解で、通行手形なしで行き来した生活優先の事情が良く判る。

矢部村では、鬼塚と三瀬、柴庵の三ケ所の渡りがある。

貞享元(1684)年、北矢部柴庵から竹原峠を越えて日田郡梅野村(中津江村)に通じる「川添新道、別名、、豊後別道」が開かれ、豊後への往来も便利になった。
柴庵から八知山鉱口あたりを通って竹原へ上る近道がそれに当たるのではないかと思われる。

私たちは谷野から上り伊良道(蚪道)へ行った。拾二里石の写真。

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大淵から山道を通り、伊良道(蚪道)の拾二石を過ぎ、所野へ行く道筋であった。

拾三里石(所野) 荘厳寺入口。

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拾四里(虎伏木・こぶしき)

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矢部川の左岸に旧道が残り、拾四里石があるが、当時の交通、道路の様子を知る上で貴重な資料であり、子孫に継承すべき史跡として大切に保存しなければならない。

肥後境三国山の麓ににあったという一里石や境木は今は見当たらない。















 
by kusennjyu | 2011-04-18 22:52 | 矢部往還
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