春の九重と阿蘇周遊2日間(阿蘇編1) 4月21日 快晴
私たちはホテルのエンジェル君や従業員の皆さんに見送られて、阿蘇に向かいます。
最初にミルクロードを通り大観峰へ、次に内牧温泉へ下り阿蘇神社見学、国道57号線を東へ進み、国道265号線の根子岳とらくだ山の間を通り、南阿蘇へと向かい阿蘇五岳(あそごがく)を一周します。
高森町の南側は宮崎県になり、ここから高千穂峡と行きます。
大観峰(左写真の下の平野部は阿蘇谷)

バスガイドさんが、阿蘇谷と教えられ、あそこはどこと再度聞かれます。もう忘れたね。阿蘇谷よ。
3・4分で忘れないでね。あそこは千枚田あると言われる阿蘇谷です。。
気をつけないとナンマイダと言って落ちますよ。阿蘇谷です。もう覚えたでしょう。
ガイドさんの冗談交じりの愉快な説明で、飽きない楽しい旅になりました。 感謝します。
放牧と野焼き(案内板の写真より)

県によって色が違います。大分県は黒牛で、熊本県は赤牛(茶色)です。
野焼きは、新芽を出す意味と、牛に害虫が着かないようにするためだそうです。
阿蘇五岳(左写真は根子岳と高岳)

北原白秋たち五人の「五足の靴」の旅で8月13日から15日に阿蘇登山を行っています。
2日目は垂玉(たるたま)温泉から噴火口を見に登っている。この日の宿泊は橡(とち)の木温泉でした。
熊本から往復、馬車にゆられて行っている。
垂玉温泉は阿蘇西登山道から登り、現在は垂玉温泉のすぐ上から先は交通止になっています。
この頃は湯宿は1軒きりと書かれている。現在は栃木温泉となっています。橡は「くぬぎ」とも読む。
『五足の靴』は明治40(1907)年7月28日から8月27日まで、九州西部中心に約1ヶ月旅した、5人(与謝野寛、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里の五足の靴としゃれている)による紀行文です。
阿蘇神社(肥後一の宮)

大杉(江戸時代に落雷で焼失しました。)

楼門

阿蘇神社の大楼門
この建物は、江戸末期の嘉永2(1849)年に復興、再建されたのです。
様式は、12脚唐門(きゃくからもん)、上層両妻づくり、下層四方卸し、唐破風(からはふう)付けなどのむつかしい用語で記録されていますが、俗に
二層桜山門式とよんでいます。
高さは70尺(21m)。
お宮の楼門として二階づくりはユニークであり、これは仏教の影響とも考えられます。
スケールは豪壮にして優美、全体に繊細な技術工夫がなされており、今では珍しくなった木造の楼門建築の粋をこらした貴重な文化遺産と申せましょう。
正面の「阿蘇神社」の大きな額は、有栖川熾仁親王の御染筆(せんぴつ)。
本殿

謡曲で有名な高砂の松

桜と楼門

次は南阿蘇の田楽の里へ行く、昼食です。 次回もお楽しみに。