藩境のまち・肥後街道宿場を歩く 4月23日(土) 快晴
御境江湖は、かっては川幅二間あった。
今も息づく江戸肥後街道の 小保・榎津の町並み
榎津・小保は、筑後川河口の左岸に位置し、対岸佐賀県の諸富と結ぶ渡船場や港町として発達して町である。
また、小保町は、柳川城下と結ぶ肥後街道沿いの宿場町であり、馬10匹が常備されていた。
江戸時代、
榎津が久留米領、小保が柳川領と町並みが二分し、御境石(おさかいいし)と御境江湖(おさかいえご)(堀割)を藩境とし、これに沿い、歴史的な町並みが形成されている。
御境石は、29本の石柱が東西に並び、文化9(1812)年、この地を測量した伊能忠敬の日記にも記述されている。
この一角は、久留米領と柳川領の街路が交差し、”榎津町札の辻”または”出口”とも称し高札場(こうさつば)でもあった。
これより榎津本町から庄分(しょうぶん)の通りに、中村屋、木下屋、願連寺、市指定文化財の高橋家がある。
一方、小保の通りには、東家、浄福寺(じょうふくじ)、八幡宮、法和寺(ほうせんじ)、東正行寺、吉原義朗家、光楽寺(こうらくじ)、緒方家、国指定重要文化財の旧吉原家住宅がある。
これ等の伝統的建造物の前には、それぞれの説明文が掲示されている。
福岡県下でも江戸期の町並みが面々として遺っているのは、榎津と小保だけであり、その形成過程や、建造物の構造・特色などは、旧吉原家資料館に展示された資料やビデオで具体的に知ることが出来る。
大川市文化財専門委員 石橋泰助(パンフレットより。)
肥後街道かわら版 文化9年10月12日
伊能忠敬測量隊、大川に来る!
次回から、小保と榎津について写真と説明文で紹介します。