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千寿の楽しい歴史
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2011新開能の指導者の廣田七之助氏の足跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史
新開能の指導者であった廣田七之助氏の足跡を訪ねて    

平成23年5月4日午後 みやま市高田町北新開  快晴

廣田七之助氏の玄孫(やしゃご・5代目)の方を10月17日に新開能が奉納される寶満神社に案内する。

次に新開能の出演50年と言われるSMさん宅を訪ねて新開能について話を聞く。

新開能の指導者   立花家資料室学芸員 才藤あずさ氏の平成22年7月14日、みやま歴史講座資料より

明治30年代から、立花家の能楽関係者が新開能の指導に携わる。 

シテ方の指導者   勝浦吉十郎

ワキ方の指導者  小畑久太郎

囃子方の指導者   池末勝之助(笛)、吉川半十郎(小鼓)

立花家の能楽関係者以外の指導者

清水嘉平(大鼓)、大渕寛造(謡)、廣田七之助(狂言方大蔵流)

SMさんの話では、廣田七之助(狂言方大蔵流)氏は南新開で指導をされ、坂口熊太郎・浦仁太郎氏などを教えている。

新開能能道具調査報告書の錦織亮介氏解説のP143に「有馬藩お抱能狂言師廣田七之助」と名前がある。

玄孫(やしゃご)さんの話では大牟田市に廣田七之助(狂言方大蔵流)の墓があり、南新開の弟子の名前が刻まれているそうです。

当時、喜多流の先生もされ、大牟田市に居住されていたようです。

5月8日、5代目と一緒に墓前にお参りしました。

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左~南新開中  右~大正9年9月24日死去  行年 71歳

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発起人・能間狂言

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小宮金太郎・小宮寅松・坂口熊太郎・小宮鹿太郎・浦仁太郎・

小宮鶴蔵・坂口喜代次・小宮時三郎・松尾真蔵・浦政吉

坂口重義・小宮英治・宮地政雄  (以上13名)

左の世話人表の中には松尾真蔵氏・小宮英治氏・宮地政雄氏の名前があがっていません。


廣田七之助氏は能間狂言を得意として、南新開の人に教え、能間狂言の人たちが発起人となり、師の居住地の大牟田市にお墓を建立したのだと思われます。

能とは別に「狂言」として成立している演劇がありますが、能の中に登場する狂言を「間狂言」と呼び、登場人物を紹介したり、舞台の展開を説明したり、時には面白おかしくストーリーを盛りたてる役もこなします。多くは前場と後場をつなぐ役割として活躍します。 (能楽事典の解説より

5代目は6代目に初代の後継者として能を継いでもらいたいとの強い決意を表わされています。

これの後は5月4日の内容です。SMさんから貴重な資料を提供していただきました。

昭和2年・上演前の記念写真    

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謡本(明治時代のもの)  クリックすると拡大しますので、皆さんも読んでみて下さい。

SMさんは、この謡本で練習をしたが、変体仮名文字が判らず、送り仮名をされています。

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私たちの目の前で、能の発声法と狂言の発声法の違いをSMさんが成されて2人で感激(観劇)しました。001.gif   001.gif  

玄孫さんは、能をみた見たことがなく感動されていました。5月8日に大牟田文化会館である大牟田哲門会(平田富喜男会長)の大牟田能「天鼓」上演を見られるそうです。

メーンのシテは塩津哲生さん(喜多流)、ワキを人間国宝の野口敦弘さん(下掛宝生流)が演じる。

昭和13年の上演演目表(原本とコピー物)   クリックすると拡大します。

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明治時代の新開能上演演目表   新開能能道具調査報告書より

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昭和9年~平成13年新開能上演演目   新開能能道具調査報告書より

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小鼓(SMさんの子供がしている)

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SMさんが小鼓も打ってもらいました。新品は音が出ないそうです。打ち続ければ段々と音が出るようになるために、新品より打たれた小鼓の方が値が高いそうです。

小鼓は湿った方が音が出て、大鼓は乾いた方が音が出るそうです。

SMさんの子供の上演記念写真

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新開の人々と能楽

大祭の手伝い   能装束、小道具類の運搬や舞台の準備

ツレ、ワキの御相手   文政頃からツレ、ワキくらいの相手をするようになる。

氏子たちによる自主的な奉納能へ  装束や小道具類は立花家より借り受ける。

立花家より能調度一式の寄贈  昭和23年5月、一式530点を新開能保存会へ寄贈。

今日のように、新開地区の人々による自主的な寶満神社奉納能が行われたのは明治30年代以後のことと思われる。

舞、謡、囃子それぞれに長老、師範格のもとに稽古に励み、ときには柳川やさらに遠方に指導者を求めて精進した。

そして、大正・昭和を経て、新開能保存会が中心となろその技と心とが確かに新開の人々の間に受継がれた。

昭和23年5月には立花家から能狂言の調度一式530点を譲り受け、文字どうり新開独自での能の奉納がなされるようになったのである。

平成13年度 能を楽しむ 能面・衣装   高田町郷土史部の資料より。

毎日新聞(平成16年3月5日の西貴晴記者)の記事より。

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毎年10月17日に寶満神社で新開能奉納が行われます。どうぞ、見に来て下さい。

by kusennjyu | 2011-05-06 05:24 | みやま市の歴史 |Topに戻る