民話 小田の水引き薬師―身代り薬師―
瀬高町東北の山麓にある小田の「薬師寺」というお寺に、「水引き薬師」という通り名の薬師如来の立像が本尊として安置されています。
この寺は「医王山薬師寺」と言って、永正15年(約500年前)、天台宗門跡によって開祖され、約百年後の慶長年間に浄土宗に改宗して、柳川の瑞松院(ずいしょうえん)の末寺として今日に及んでいます。
この「小田の水引き薬師」の由来についてのお話です。
その昔、田に水を引く争いが絶えず、特に、雨の少ない水不足の時はなおさらひどく、流血の事故まで引き起こす悲惨な状態が度々ありました。
そういうある日、夜な夜な火の玉が田の上や水路の上をゆらゆらと泳ぐようにゆらぎ動くのを見て、村人たちは不審に思いました。
ある一人の村人が
「これは、勝手に水回りを変える者だ。」
として、弓に矢をつがえて、火の玉を射ました。矢の射さった火の玉は薬師寺の上まで飛び、ぱあーっと赤く輝いて、薬師寺の中に消えました。
矢を射た村人はどうしたことか、田の淵に倒れて息が絶えていました。
後に、村ひとたちが、本堂の薬師如来を見ると、右胸に矢傷の跡が残っているのを見てびっくりしました。
実は、火の玉は薬師如来の化身で、水路を勝手に変えられていないか、それぞれの田には平等に水が回っているのかと見回っていたのでした。
そのことを知った村人たちは、薬師如来の広い慈悲(いつくしみ)に頭を下げて尊びあがめ、より一層の加護をお願いしました。
それは、今日まで続いているということです。
このことがあって、村ごとに、水回りの役を定め、平等な水引きが行われるようになり、水争いはなくなり、平和な共存の村になっていったということです。
そして、村には、弓も矢も持つ者がいなくなり、平等な水引きが行われるようになったのは薬師如来のお蔭として、村人の守り仏とあがめ、こぞって薬師寺を守り継いでいるということです。
「ふるさとの昔ばなし」-瀬高の民話と伝説ー瀬高町教育委員会発行より。