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2011梅野家歴史3(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史
梅野家歴史3(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)

瀬高町長  昭和42年1月~昭和46年 (1期)

瀬高町他二町の衛生組合建設問題  高柳住民との交渉

水道施設  水源となる大井戸は掘ってあっが、深過ぎて浸透水が取れなくなっていた。
      
今一本大井戸を掘り渇水期でも充分な飲料水が取れるようになる。

橋両側の土盛り工事

瀬高橋・津留橋・泰仙寺橋の橋梁地点より両方向に100m位の所までの土盛り工事堤防を嵩上げしたため、取付道路の勾配をゆるやかにするための工事。

地主と居住者の承諾と補償額についての関係者の了解が必要である。

浦島橋は昭和35年の県議時代に本橋だけができたものの、取付道路の件で反対者がおられて、交渉に数年間かかる。

瀬高町役場新庁舎建設
  設計を九州地方建設局の営繕部に依頼して昭和44年が出来、設計書による建設を町議会も賛成した。
  しかし、指名業者決定及び入札方法に難題が持ち上がるが、入札で竹中工務店に決まる。
  電気工事と給排水、冷暖房工事はそれぞれ別の専門業者に請け負わせた。
  昭和44年11月に庁舎全般にわたり竣工する。

古僧都林道の開設

清水(大字本吉)から船小屋に通ずる観光道路として県の森林土木課長に話をしたところ、林道として失業対策事業として労働省から認めてもらうことを教えてもらった。

失対労働者を大牟田から連れてくることを大牟田市と交渉する。
用地の確保で清水寺の土地を無償提供してもらえるとの期待が、信徒総代の反対に会う。
町長・助役・教育長が交渉して、住職が辛うじて了解する。
  
工事を中央部で南側と北側に分けて、2年度に渡って工事を行い、後一歩で補償費の件でこじれ、夜遅くまで口説いたが応じてもらえず、そこだけ残して竣工式を行う。

今日ではこの古僧都林道8km全線開通され、林道、樹園地道路、観光道路として有用な役割を果たしている。その総工事費は用地や樹木などの補償費も含み、1億円くらいかかる。8~9割が国と県から出され、町は1千万円くらいの支出で済んでいる。

治水事業に尽力

矢部川には瀬高町の灌漑用水を取水する広瀬堰、瀬高堰、名鶴堰の三大堰があるが、いずれも固定堰に改良され、本流からの取水樋門はいずれも手動だったのを、電動式に改良し、ボタン一つ押せば開閉できるようにした。

文広の樋門を改良して、冠水常襲地帯が旧役場付近まで押し寄せ、家屋の床下浸水をもたらしていたのを徹底的に電動式に改良する。
泰仙寺付近も冠水常襲地帯で、大型の電動機によるポンプアップ排水施設を設置する。

その他の功績

建設省筑後川工事事務所矢部川出張所を上庄に誘致したが、矢部川の総括的な管理が行き届くようになる。

昭和44年夏の降雨不足の時に、瀬高町は地下水が豊富で山川町と高田町のみかん園に、ポリ製の大型水容器をトラックで運び、水を分けてやる。

山門保険所改築に際し、元の上庄地区に残置する。

国の出先機関である統計事務所、県の出先であるやまと農業改良普及事務所を誘致する。

道路改良、特に瀬高湯辺田線や柳川山川線の改良、清水谷、西谷などに砂防堰堤を数ケ所に造って災害予防に努める。

山門高校、東山中学、上庄、下庄、水上の各小学校、南小学校の校地拡張や増改築をするなど、教育施設の整備を図る。

昭和45年6月1日、消防署を瀬高町大字小川に設置する。

県議会議員 昭和46年~昭和58年(3期)

第1期目は土木常任委員を務め以来土木委員を3期、農業委員を3期、さらに総務委員、厚生委員、建設労働委員、文教委員会委員長、土木委員会副委員長、水害対策調査特別委員会委員長(昭和46年)、新庁舎建設特別委員会委員、県議会副議長(昭和54年5月)などを務める。

県議通算5期(20年間)在籍する。

中国視察  昭和46年と昭和56年の2回。

藍綬褒章受賞  昭和50年9月

自治功労者として薫三等に叙せられ瑞宝章を授与  昭和57年4月

現在の当主は13代目  梅野泰生(梅野家歴代では35代目です。)

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梅野家の庭園・梅野家歴史資料館に気楽においで下さい。

by kusennjyu | 2011-06-12 04:37 | みやま市の歴史
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