『五足の靴文学碑』建立 6月18日午前11時除幕式
場所 大牟田市岬町の諏訪公園
碑文は五足の靴と大牟田とのゆかりを紹介している。
与謝野鉄幹ら炭鉱見学
西日本新聞 平成23年6月17日記事より。
有明新報 平成23年6月17日記事より。
井上陽子氏の講演会
「五足の靴」と大牟田ー近代日本の鼓動
21.三池炭鉱 (碑文を現代文で紹介します。)
この瞬間世界の石炭は幾億万トンが煙になる。この瞬間世界の炭鉱は幾億万トンか掘り出す、地の下に虚(うつ)ろが出来る。この瞬間文明は進歩する、文明は石炭に正比例して一端より他端へ進む。
大観すればプルスの無限極裡はミススの無限極裡と相通ず、先へ進むは元へ戻る事である。
石炭は瓦斯となって草木の葉を養う、草木の解体したものが石炭ではないか。
ただ悲しいかな、太陽の熱が次第にさめる、大エネルギーの一部は常に放散熱となって太虚のいずくへか逃げてしまう。
昨日は山に登って我が地球の内部生命の一部を貰って想像を走らせ恐い思いをした。今日は一千尺の地下に入って親しく埋もれたる太古の熱に触れようとする。
大牟田は平地である、表面はただの田だ、稲が青々と繁って日の光の中に生存を嬉んでいる、裏面はすなわち炭鉱だ、何も知らぬ炭層が暗い中に折り重なって寝ていると、こつこつ叩くものがある、おや何だろうと長夜の眠りを覚ますと体が半分かけている、動くにも体が固くなってしまって動けぬ、汝忍べ、汝は光輝赫奕たる新日本の文明を作るものである、と人間は遠慮なく体を削いで上へ持ち出す。
そのごとくして地下は蜂の巣の様に穴だらけになる、時々怒るべき爆発の犠牲をさえ具えた。
一行は白仁(しらに)、稲田2氏によりて坑内を見るべく案内された。
上衣を脱いで雨具を着る。維新の官軍を思い出す陣笠の様な帽子を冠る、手に手に安全灯を持たられる、少し気味がわるい。ぞろぞろと屋根のあるエレベーターに乗った、ぢゃんと知らせの鐘が鳴る、ぐいと綱を曳く、かたんと台が下りる。
もう駄目だ、近(ちかづ)いた、泣こうが、悶こうが、周章(あわて)ようが、行くべき所へは行く、もう駄目だ、昨日阿蘇の噴火口で初めて跳び込んだ者の勇気をえらいなあと思い、その心事を憐んだ、今その心事を自ら味うべき時が来た。
初はゆるい、安心する、早くなった、早い、暗い、ふわっと体が浮く、一心に鉄棒を握る、飛ばされそうだ、ランプを気を付けよというK生の声がする、心がぞおつと縮む、訳が分からなくなる、真っ暗な中にごおっという音がして、台が飛んで行く、風の如く電(いなずま)の如く疾い、最大速度に達したかと思うと、おやおかしい、反対に上昇している。変だ。この状態が暫く続くと急に速さが鈍り、やはり下降していたのを感じた。
台を降りたのは地下一千丈の所である、そこへ一分かからずに降りたのだから早いはずだ。慣れると如何もないという、どうもない代わりに初めての時感じた心の底に浸み通る一種の深い恐れを味わう事も出来ぬだろう。
実は途中で死んだのだ、下に来て蘇生したのだ。丁度仕事が休みで電燈が点いて居らぬから真っ暗だ、中は夕立がしている、ざあざあ激しい水の音がして、外套は濡れる、話も出来ぬ。思えば地の底に居るのだ、地獄に居るのだ、安全燈が幽(かす)かに光る。
案内する人に続いて五人は地獄をめぐる、ダンテの夢は実現されて眼の前にある、真の地獄といえど余り変わりはあるまいと思う。ランプが暗いので脚下が危ない、躓いたのはレールであった。
上下両側の壁を形作るは岩の如き炭層である。怖れたる心を抱いて暗いアーチの下をとぼとぼと危なげに歩いていく。心細い。道の端に裸の鬼どもがあぐらをかいて何事か談合している、仰のけに寝ている奴もある。行けども行けども尽きぬ。坑(あな)は八方へ分かれる。深く進むに従い瓦斯の臭いがひどくなって来る。恐ろしい。
元へ戻ってエレベーターに乗る。今度は下降する様に感じた、一千尺を一瞬に登って日の光を見た時、初めてほつと安心した。やはり人間の世が嬉しい、これが我々の世界だ。
一行が三池炭鉱見学した理由は
見学した炭鉱は万田坑と推定されています。
三池炭鉱は近代化に向けて躍動しており、技術陣を明治23年から41年にかけて21名の工科大学卒業者を採用し、そのうち東大卒が19名います。
平野万里は東大工科の学生で、学長に学術実地研究旅費を借用しています。
そのために、東大卒の先輩たちが勤めていた三池炭鉱を見学し、名目を得たのです。
その時に、大牟田に住んでいた明星派歌人の白仁秋津(しらに・あきつ)が尽力しています。
毎日新聞 平成23年6月14日記事より。
有明新報 平成23年6月14日記事より。
『五足の靴』の機構では平戸や天草など九州のキリシタン遺構見学は良く知られていますが、大牟田で三池炭鉱見学したことは、知らない人が多いようです。
大牟田・荒尾の近代化に貢献した炭鉱遺跡は近代化産業遺産群としてユネスコの世界遺産に名乗りを上げています。