大人形さん 瀬高町上庄の八坂神社の祭り 7月24日
大人形
「おお人形さん」の名で親しまれている大人形。当日は大人形の股をくぐれば病気をしないと言われているため、その霊験をさずからんとして遠方より子ども連れの参詣者が後を絶たず、夜を徹して太鼓を打ち鳴らし、夜明けともなれば大人形の御顔は霊汗に光り輝くと言います。
この大人形、昭和17年以降は顔、手は新しく作らず、宮原孫次郎氏作のものを利用して祭典を行っていました。しかし、昭和25年、氏子の故山口唯次郎氏が境内の楠の神木を切り、大人形の顔、手を彫刻されたので、その後は毎年、その顔や手を組み立てて、大人形の祭事を行っています。
大人形の由来
八坂神社(祇園宮)の祭り「祇園祭」の最終日を飾るのが、“筑紫の奇祭”として知られている「大人形」です。
この祭りの由来に関しては、近世以前の文献はほとんどなく、ただ口伝によってのみ伝えられています。
柳川の藩祖立花宗茂は、慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの時、西軍(豊臣方)に味方しましたが、西軍の敗戦によって徳川家康より、柳川の領地を没収され放浪の身となりました。
その後、宗茂は徳川氏に仕え、慶長11(1606)年、奥州棚倉に一万石を賜る城持大名となりました。
ある夜、夢の中で宗茂と家康の間に合戦が起こり、双方死力を尽くした激しい戦いとなりました。
その時、祇園宮の神が忽然と現れ、双方の中に入り仲裁され、いつしか合戦も終わっていました。
夢から覚めた宗茂は、これは誠に不思議な夢を見た、これは吉夢に相違ないと、心ひそかに感じていました。
慶長5年柳川を出て21年、元和7(1621)年のことでした。当時、一度改易になった藩主が再び旧領に復帰するということは非常に珍しく、稀なことだったのです。
元和8年、祇園宮を再建すると共に、この神事を始められたということです。
右に八幡太郎義家を、左に安部貞任・宗任(1年ごとに交替)を飾り、中央に祇園の社殿を据え人々は嬉々として両者の股をくぐり、1年の息災を願うようになりました。
上庄八坂神社
八坂神社は安元2年の創建と言われ、京都の祇園宮の分霊を祭り、歴代柳川藩主の厚い信仰を受けた神社と伝えられています。
「瀬高」は、その名の興り瀬高荘が示すように、中世筑後の社会経済の一拠点として栄えてきました。
近世にあっては、柳川藩の幹線要路を占め、町屋が形成され、商業地域としての発展を遂げています。
現在に残る上庄・下庄の商家町並みは、その歴史を偲ばせてくれます。その文化的遺産の原型として、上庄八坂神社の祭り「大人形・大提灯」があります。
昭和31年に福岡県指定有形文化財(民族資料)に指定され、県内に類型を見ない奇祭として世に紹介されています。
せたかの祭り<県指定文化財>福岡県瀬高町発行より。