三池炭鉱創業の歴史
「三池炭山創業碑」(笹林公園内) 大正5年建立
三池炭山は文明元年の発見に係り、三池、柳河にて稲荷(とうか)山、平野(ひらの)山、生(いく)山を開坑経営す。
明治6年工部省(こうぶしょう)の管理に属し、鉱山寮支庁を下里(さがり)村に置き、同年大浦坑を開く。
明治9年、石炭販売を三井物産会社に委託し、口ノ津港を経て、海外輸出を始める。
明治15年、七浦坑成る。これより先、各坑内には福岡、熊本、佐賀及び長崎県の囚徒を使役せしが、16年に三池集治監を置かるるに及び、専ら囚徒を用いる。
明治19年、大蔵省の経営に属し、事業の面目ここに一新する。
明治20年、宮浦坑を開く。
明治22年、三井家の有に帰す。当時の出炭量は1ケ年に33万トンなり。
有明新報 平成23年6月18日
西日本新聞 平成23年6月19日
上の2紙により、元三池藩士が「
三池炭坑請負嘆願書」が出されたことが判明しました。
廃藩置県(明治4年)の2日前に出され、その年の11月に工部省から向こう5年間の「三池藩卆士族」による「請負稼」が許されていますが、実際に元藩士たちが炭坑を経営されたのは、2年間にとどまっている。
明治6(1873)年に官営となっています。
余話
廃藩置県が行われた当時は3府306県1使でした。さらに合併して3府72県1使となります。
小倉藩は明治3年に豊津藩に改名し、豊津県となった。中津県と日田県管轄の企救郡を合併し小倉県となる。
福岡藩は福岡県となり、秋月県は福岡県と合併する。
筑後地方は久留米県・柳川県・三池県が合併して三瀦県となる。
明治9年4月に小倉県は福岡県に合併する。
明治9年8月に三瀦県は福岡県に合併する。下毛・宇佐両郡を大分県に割譲して
福岡県が成立した。