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千寿の楽しい歴史
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2011島原大変・肥後迷惑(岱明町)・千寿の楽しい歴史
島原大変・肥後迷惑(岱明町)   

6月22日  天気   晴れ


大和町の半田隆夫氏と「島原大変・肥後迷惑」の取材に行きました。

熊本県の荒尾市の「四山神社」・玉名市岱明町の「扇崎千人塚」・岱明町図書館・熊本市河内町の供養塔・河内町図書室・河内町の蓮光寺へ行きました。

扇崎千人塚

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説明版

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扇崎千人塚

碑は正面に「南無阿弥陀佛」と大書し、あと三面に14行、建碑の由来を詳しく刻んである。

江戸時代の寛政4(1792)年4月1日夕刻、有明海を隔てた雲仙火山大噴火と、東の眉山の大地滑りのため、10~20mの大津波が玉名、飽田(あきた)、宇土三郡の沿岸を襲った。

下沖洲村では死者約380人、流失家屋約70軒といわれ、津波は眼下の行末塘新地にも及んだ。

鍋村のうち塩屋村では死者350人、家屋80件残らず流失。浜田村、高道村も大きな被害を受けた。
玉名郡の死者2221人、三郡では計4,653人であった。

同年9月に肥後藩は、一郡に一基の供養塔を建て、死者の霊魂を弔った。この千人塚もその一つである。

  昭和54年11月28日指定  岱明町教育委員会

扇崎千人塚供養塔

玉名市指定  重要有形文化財   指定日  平成尾21年3月17日

扇崎千人塚供養塔は、江戸時代の寛政4年4月1日(西暦1792年5月21日)、雲仙普賢岳の火山活動に伴う大地震による前山(眉山)崩壊によって引き起こされた大津波の犠牲者を弔った供養塔である。

被害は対岸の島原で1万人、肥後国で5500人及び、今日でも「島原大変、肥後迷惑」との口伝が残る。玉名、飽田、宇土の三郡と天草の有明海沿岸の村々を襲った。

特に、玉名地域では、干拓地を造成中であった下沖洲村や鍋村での被害が甚大であった。玉名郡だけで死者2221人と記録されている。

なお、この供養塔は、同年9月、肥後藩で建立したものである。凝灰岩製で縦高2m5cm、二段重ねの台石の上に高さ1.5mの標石を立て玉垣で囲まれている。

正面に「南無阿弥陀佛」と彫り、両面と背面の三面にかけて供養塔を建てた趣旨が刻まれている。

同様の供養塔は被害の大きかった飽田郡、宇土郡にも立てられていて「一郡一基の塔」と呼ばれている。

この供養塔は、有史以来の日本最大の火山災害とされる「寛政地変」による大津波の被害が当地において甚大であったことを物語る資料であり、玉名市の災害史上、忘れてはならないもので、多くの教訓を伝えるものとして、学術的価値の特に高いものである。

   平成22年1月  玉名市教育委員会

















  
by kusennjyu | 2011-06-23 07:44 | 歴史学習会 |Topに戻る