人気ブログランキング | 話題のタグを見る
千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
伝説 高麗(こうげ)がらすの由来・千寿の楽しい歴史
伝説 高麗(こうげ)がらすの由来

私たちの家のまわりや、お宮、お寺の境内にある柿の木や、むくの木、また電柱の腕木などに木の枝などを積み重ねて作っている大きな鳥の巣を見かけることがあります。

この巣を作っているのは、肩と胸の部分が白でそのほかは黒色のツートンカラーのきれいな鳥です。

木から木へ飛びまわっている時はいつも、キジャ、キジャと鳴き、黒色をしたカラスより少し小さ い鳥です。

この鳥の名前は、正しくは「かささぎ」といいます。ところによって「かちがらす」とも呼ばれていますが、私たちの山門郡地方では「高麗(こうげ)がらす」と呼んでいます。この高麗がらすは、この辺のりではよく見かけますが、どこにでもいる鳥ではありません。

古くは、養老4(720)年に出来た日本で一番古い「日本書記」という本の中に「推古天皇のところに『難波吉士盤金(なにわきしいわかね)』という人が、新羅(しらぎ)から帰って、かささぎ2羽をたてまつり、難波の社(やしろ)で飼わせた」という話がのっています。

しかし、難波(今の大阪地方)では、「かささぎ」を見かけることは出来ません。その後、繁殖しなかったのでしょう。

今、日本では、筑後平野、佐賀平野など私たちの住んでいる地方にだけいる貴重な鳥で、国から天然記念物に指定され保護されています。つかまえたりすることは禁じられています。

高麗(こうげ)がらすは、なぜ私たちの地方にだけいるのでしょか。
また、「かささぎ」と呼ばず高麗(こうげ)がらすと呼ぶのはなぜでしょうか。
それには、次のような伝説があるのです。

今から約400年前の文禄元年正月に、豊臣秀吉が、全国の大名に対して朝鮮(ちょうせん)に出兵を命じます。

柳川の殿(とん)さんである立花宗茂公も、家臣と共に朝鮮に出兵します。
朝鮮のあるところの戦いで、柳川の兵士たちが小さい舟に乗り、ろを漕ぎながら海を渡っているとき、向こうの方から、明(みん)や朝鮮の水軍の大きな船がこちらにやって来たのです。
相手の船をよく見ると、船のへさきに大きな大蛇がとぐろを巻いて、らんらんと目を輝かし、こちらをにらんでいるのが見えます。

小舟に乗っていたこちらの兵士たちは「あれは何だ。大蛇じゃなかか。ああ、えずか(おそろしい)、あんまり近づくと、大蛇にのまれてやられてしまうぞ。」とこわがっていました。

すると、どこからともなく飛んできた鳥が、“木蛇(きじゃ) 木蛇(きじゃ)”と鳴いて、柳川の兵士たちが乗っている舟に知らせたということです。

これを聞いた兵士たちは、ほっとして「あれは本当の大蛇じゃなくて、木で作った大蛇か。そんならえずなか(それならばおそろしくない)。」と元気をとり戻し、勇気百倍して、明(みん)・朝鮮の水軍と戦いながら、無事に海を渡って行ったということです。

当時の明や朝鮮の水軍は、日本では見かけることがない、船のへさきに、龍を形どった船や、亀の甲の形をした亀甲船(きっこうせん)を使っていました。

高麗(こうげ)がらすの鳴き声をよく聞くと、なるほど、キジャ、キジャと聞こえます。この鳴き声で、柳川の兵士たちを励まし救ったため、宗茂公は、朝鮮から帰るとき、「我が藩を助けてくれた守り神」といって、高麗がらす二(ふた)つがいを連れてきました。

そして、大事に育て、清水山に放し、手厚く保護してきたので、この高麗がらすは、今では山門郡、柳川、佐賀平野だけにいるということです。

正式の鳥名
「かささぎ」を私たちの地方では、高麗(こうげ)がらすと呼んでいます。それは、昔、朝鮮半島に高麗(こうらい)という国があり、その半島から柳川の殿(とん)さんが、つれて帰った鳥ということから、その国の名にちなんで「こうげがらす」と呼ぶようになったということです。
by kusennjyu | 2011-06-29 04:04 | みやま市の民話と伝説 |Topに戻る