千寿の楽しい歴史
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2011大川歴史講座発足(風浪宮)・千寿の楽しい歴史
大川歴史講座発足(風浪宮)   

平成23年7月2日午後2時~4時
  出席者 70名

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左~進行者   右~委員長のあいさつ

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台の紋は風浪宮の神紋の洲浜(スハマ)神紋です。

左~発足者の半田先生   右~講師の阿曇史久風浪宮宮司

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題名  第1回大川歴史講座  「徐福と阿曇族」

1.風浪宮の歴史

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当宮由緒

神功皇后新羅御親征の帰途風に遭われ、海神少童命に祈らせ無事筑後葦原の津に着き給うた為に、我が「風浪の難を治めた」少童命を祀る事となった。故に風浪と称す。

少童命(ワタツミノミコト)の文字を使う地域としては有明海一帯の神社に多く見受けられる様である。

2.海洋民俗阿曇族について

①「志賀海神社と風浪宮の関係」

有明文化圏の中での風浪宮を起点として鬼門の方角等にある歴史性のある神社の配置等を調査されたところ、志賀海神社参道を基本線として五万分の一の地図を繋ぎ合わせた結果、当風浪宮があったと思料される場所を指している事が判った。

このことは、志賀海神社の御由緒によると神功皇后の命により阿曇磯良丸(風浪宮初代神主)が香椎の浜に海中より現れ満珠千珠の珠を捧持した結果、新羅の戦いに戦わずして勝利したとされる神功皇后摂生元年頃、約1800年程前に元々玄界灘を向いていたお社を現在の博多側を望む島の南端へ遷座した事と、この酒見(鷺見)の地に神功皇后が少童命を祀り初代神主として阿曇磯良丸に命じられた当宮由緒が一連の繋がりを持っているとの推論がされる事となった。

京都御所の30度を守る鬼門に日吉大社(滋賀県坂本)がある。

風浪宮の30度を守る鬼門に高良宮がある。

②長野「安曇野」について   
阿曇については長野県の安曇野がよく知られているが、中でも穂高神社は山の神である穂高見命と天孫爾爾杵命と共に海神綿津見命を祀る神社で知られ、北部九州の阿曇一族が翡翠を求め或は水銀とも言われているが日本海側の姫川方面より遡上して移り住んだとされ年に一度、船曳祭りが盛大に行われ海洋民俗の名残とされている。

八面大王伝説は八女大王という説がある。面(メン)のンを抜くと八(ヤ)とメでヤメ(八女)という研究されている。

長野の安曇野から見える山に有明山がある。ここは年中、雪が積もっていない。また、長崎県の普賢岳に似ている。

3.考古学より考える
①酒見貝塚(風浪宮の宮)発掘調査

②カラカミ遺跡と原の辻遺跡

カラカミ(唐神)遺跡

農耕主体の原の辻と違い専業的漁業主体の性格が明らかになった。弥生式中期(原の辻下層)と弥生式中期(同上層)と思われる。

鹿の肩甲骨に点状焼灼を加えた卜(ボク)骨が発見。
倭人伝に骨を灼きて卜し以って吉凶を占い、先ず卜するところを告ぐ。壱岐、対馬の原点。

③高三瀦と須久岡本式土器

高三瀦(塚崎貝塚、高良御廟塚、弓頭神社)

高良宮の元宮は現在の久留米市大善寺町の付近にあったと阿曇宮司は聞いたと説明される。

徐福については時間がなくなり、来年の第5回講座で話されることになりました。

風浪宮について  リンクして見て下さい。

五重の塔(風浪宮境内)

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年塚宮  東宮があった場所とされる。

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by kusennjyu | 2011-07-03 04:10 | 歴史学習会 |Topに戻る