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千寿の楽しい歴史
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2011長島地区の文化財を訪ねて2・千寿の楽しい歴史
長島地区の文化財を訪ねて2    

平成23年8月3日   7人参加


薬師堂  栗の内地内

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栗の内のお薬師さん

栗の内のお薬師堂は、南は稲荷、東は神楽田(かぐらでん)、南西は九反坪(くたんつぼ)、西北は権明(ごんみょう)、の5つの小字の中心に在る。正しくは大字太神字稲荷の北の端にあたる。

以前は、草葺のお堂であった。祭田が5畝ほどあって4,5人の世話人さんが毎年作付け廻しとして耕作し、その収入でお堂の維持管理をしていた。終戦後、農地解放で祭田が農家に移り、その代金でお堂を瓦葺に改修した。

この薬師様は眼の神様といわれ、眼の悪い人は「めめめめ・・・・・・」と紙に書いて供えたものである。

流行性眼病(はやりめ)の時は、「またお薬師様が荒れているからでは・・・・・・」と皆でお堂をきれいにしていた。お堂横の樟の大木の空洞にたまる水が眼病に効くといわれていた。

いい伝えによると、昔権明寺という大きなお寺があって境内に稲荷社、薬師様を祀ってあったが、戦国時代に竜造寺隆信の兵火がにかかり消失してしまった。今でも深く掘ると椀や皿が出てくることがある。

栗之内という字名はお寺の「庫裡」に由来していると言われている。

御神体は自然石に御幣を飾り、注連縄も張って神社の感じである。
神仏混淆、下って廃仏毀釈(きしゃく)の名残りと思われる。

向かって左に立像の薬師如来が安置してあり、正面に九曜星紋入りの賽銭箱が目立つ。ひところは不動明王も祀ってあり、春秋には蟇目供養もあっていた。

南校区まちづくり協議会資料の江崎治時記より。

こうやの宮  栗の内地内

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こうやの宮(磯上物部神社)と七支刀を持つ神像

みやま市指定有形民族文化財

長島鬼木に先祖代々祭り続けられている「こうやの宮」という小さな祠がある。
 
5つの御神体が3個の御厨子に分けられて祀られている。

向かって右の御厨子には、こうやの宮の当主であろうか衣服の胸に五七の桐の紋を付けた高貴な公家様、左の御厨子には、皿を頭に置いたカッパ像と、その右に白髪の老人、中央の御厨子には、鏡を手にした女神とその右に異国風の武士「七支刀を持つ神像」が並んでいる。

※平成14年、こうやの宮再建の折、厨子も一つにまとめて造り替えられ、今は並び順が変わっている。

七支刀とは、現在奈良県天理市にある、石上(いそのかみ)神宮に国宝として保存されている鉄鉾のことである。全長75cm、刀身の左右に互い違いに3本づつ枝刃が出て、刀身の先端を加えて七支刀といわれている。その刀身の表裏には60余字の銘文が金象嵌(きんぞうがん)されている。

その銘文から泰和4(369)年に百済の太子貴須から倭軍派兵によって高句麗を討った御礼に倭国王子に献上した刀である。

「日本書記」に、神功皇后が朝鮮百済から献上されたと記す「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると考えられている。

邪馬台国は、学者経験者の間には畿内説、九州説という大別されているが、女王卑弥呼の墳墓が注目されている堤古墳、権現塚があり邪馬台国の中心は瀬高である。学説によれば、七支刀は邪馬台国の発祥の地である瀬高町「こうやの宮」に大和朝廷が安定後、物部一族により天理市石上(いそのかみ)神宮に奉納されたのではないかと言われている。

天理市で七支刀が発見される以前からこうやの宮に「七支刀を持つ神像」を祀っていたことから、話題になり見学者で賑わった。

言い伝えによると、因幡家は代々こうやの宮の神職で祭礼も因幡家だけで行われていたが、藩政が終わり神田(宮の費用を賄う田畑)はなくなり、祭礼が出来なくなったので、鬼木地区で行うようになった。

昔は社田相当広く、周りは堀に囲まれ龍門があり、立派な石の鳥居があったという。祭礼も盛大に行われていたが、明治の大風で社殿が倒れ、昔のように復元も出来ず、今日の姿になった。

因幡家には、刀剣・烏帽子・かみしも・他種々のものが長持いっぱい保管されてあった。その中の剣は、異様な形をしていたと聞く。
1930年、因幡家が火災に遭い、跡形もなく焼失してしまった。

長島集落の秋祭りは10月19日。その祭典にあたり神官の祭典行事の初めは必ず、「こうやの宮」の神事から行われる。これから推測しても、このこうやの宮が当地区で最上位の宮であることが判る。

南校区まちづくり協議会資料の田中広次、因幡りつ、金子正義より。

お堂(太神保育園南東側)とその南側の道横の人馬一体木の案内板

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人馬一体木(見えますか)

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太神保育園の前は太神小学校の校舎が建ち、その東側にこうやの宮北側付近まで運動場があった。

次回もお楽しみに。

by kusennjyu | 2011-08-12 09:21 | みなみ地元学
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