神籠石を訪ねて 8月24日午後
女山史跡森林公園の遊歩道を下りながら、神籠石を見て黒岩ため池に出ました。




女山神籠石 国指定史跡
所在地 山門郡瀬高町大字大草字女山 指定 昭和28年11月14日
神籠石は、方形の切り石を一列に並べ山腹を巡らせて山頂を囲む列石と、これに連なる谷間に切り石を積んで築いた石塁、水門からなる巨石遺構のことです。
久留米高良神社境内を囲む列石を古くからこのようによんでいて明治30年代以後、この種の遺跡が北部九州を中心に発見されると、その一般的名称となったものです。高良山・女山・雷山など九州や中国地方にあります。
用途については、祭域・霊域とする学説もあります。
大野城など朝鮮式山城に類似しているため、山城説が次第に有力視され、近年、柵柱や土塁など防御施設の存在や位置的な北部九州への集中などを理由に対外的な防御計画にもとづく山城とする見解に傾いています。
ただ土塁前面基部に切り石を並べることの特異さや山城に不可欠な倉庫群が未確認であることなど、祭域説の成立する余地も残っています。
構築の年代については、遺跡が唐尺(約30cm)で設計されているらしいことや史実などにより、大化(645年)以後から天智天皇4(665)年の間であろうと見られています。
女山神籠石は、主として方形の加工砂れき岩が一部に自然石をまじえ、ほぼ馬蹄(ばてい)状に古塚山山頂を3kmにわたって取り囲んでいます。
列石のとおる北から横尾寺谷、長谷、源吾谷、産女谷には水門を設けています。
地元では古くから知られていましたが、学界に紹介されたのは明治32年です。
また昭和10年には福岡県で初めて全国的な実測調査を行いました。
昭和46年の県教育委員会の調査では、列石背面には、岩を削って積石したこと、前面には約3m間隔で柱穴があることなど新しく発見されました。
平成2年3月 瀬高町教育委員会(説明板より)


女山の神籠石説明の石碑がある所から歩いて登り、途中に遊歩道入口の案内板があり、そこから杉木立の中をゆっくりと歩き、神籠石の列石が続きます。
神籠石を見ながら、女山史跡森林公園に出ます。展望所からは有明海や、天気の良い日には、遠くは多良岳・背振山・高良山などが見えます。
車の方は、女山史跡森林公園まで行き、数百メートル下って、神籠石の一部を見られます。
みやまいいまち会 下の詳しい内容が判ります。
今、日本の未来を強くするために必要なものを表す言葉で「絆」が一番でした。
私の目標 今一番大事なことは絆を育てること。