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千寿の楽しい歴史
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2011伝説 本郷の行基(ぎょうき)橋の話・千寿の楽しい歴史
伝説 本郷の行基(ぎょうき)橋の話

本郷を流れる沖の端川に架かる「行基橋」のお話です。

今から約千二百年~千三百年前のことです。ある日、ひとりの旅のお坊さんが、本郷の村へ立ち寄りました。お坊さんは、川のほとりに立って、村人たちが難儀しながら川を渡っている様子をじいっと見つめていました。そして

「さぞかし難儀なことよのう。橋があったらのう。」とつぶやきました。

その頃、川には橋がなく、村人たちは、着物をからげ、重い荷物を背負い、流れの速い川の瀬を確かめながら渡っていました。

お坊さんは、村人たちの難儀している姿を見かね、何とか橋が架けられないものかと考えました。

お坊さんは、この村に留まり、托鉢(たくはつ=お坊さんが修行のため、お経を唱えながら歩き、米や金銭の施しを受けて回ること)を続けながら
「この川に橋を架けて進ぜるほどに、力を貸してくださらんか。」と説いて回りました。

しかし、村人たちは、
「そんなことができるはずがない。このお坊さんは、気でも狂ったのか。」と言ってとりあいませんでした。

そのうちに、お坊さんのあまりの熱心さにうたれ、ひとりまたひとりと助力者が現れ、やがて、多くの人々が協力を申し出しました。

お坊さんの指図で、苦労を重ねながらもがんばり通し、見事に橋ができ上がりました。今までの難儀はなくなり、村人たちは、楽々と川を渡ることができるようになり、喜びと有難さで、お坊さんへの感謝の気持ちでいっぱいでした。お坊さんは、村人たちの喜びを後に、いずこかへと旅立っていきました。

それから何年か後、このお坊さんは、諸国行脚中(お坊さんが諸国をめぐり歩いて修業すること)のあの有名な行基菩薩(ぎょうきぼさつ)であることがわかりました。

村人たちは、その遺徳(後世にのこる人徳)をたたえ、この橋の名を「行基橋」と言うようになったということです。

そののち、村人たちは、橋のたもとに小さなお堂を建立し、高僧「行基菩薩」の遺徳を偲ぶと共に橋の安全を願ったということです。

※南筑明覧には「下妻郡本郷村の行基橋は、往古行基僧正諸国巡行の際、橋を渡せり。故に、後人呼びて、行基橋というなり。」とあります。

※お堂は橋拡張工事により、橋の北東に移転して立派になっています。

ふるさとの昔ばなしー瀬高の民話と伝説―瀬高町教育委員会発行より。




みやまいいまち会   下の詳しい内容が判ります。

今、日本の未来を強くするために必要なものを表す言葉で「絆」が一番でした。

私の目標   今一番大事なことは絆を育てること。

by kusennjyu | 2011-08-29 08:16 | みやま市の民話と伝説 |Topに戻る